Axel Dörner/中村としまる 「Vorhernach」(2007)

 息音のトランペットと、ノーインプット・ミキシングボードによる抽象かつ細密なノイズの応酬。

 音響の即興にこだわる日本のレーベルFtarriから発売、ベルリンで録音された。ミックスは東京とドイツで二人がそれぞれ実施し、マスタリングは東京で行った。
 約25分の作品が2曲入ってるが、一方が中村で一方がドゥナーのミックスと言うことか。ただし2曲はバージョン違いでなく、別音源だ。ドゥナーがミックスを、中村が再ミックス/マスタリングって意味かもしれない。

 ドゥナーは息音と、マウスピースにぶつけて現れる滲んだ音のみ。中村はノーインプット・ミキシングボードからのノイズで迎えた。静かで、間の多い作品。有機体のいない摩天楼で囀る、機械仕掛けの鳥たちや風の音をイメージする。

 ときおり現れるパーカッション風の打音はどちらの音だろう。ドゥナーの息音は時にサンプリングめいてる。編集をどう施してるかは不明だ。
 
 即興の極北、メロディもビートも小節も無い。ある音程を持ったノイズが、ランダムに表れるのみ。およそ無機質な意味を剥奪された音の連なりは、時にそっけない。そして疲れた耳は、こういうノイズを欲することがある。
 自然音に耳を傾けるのも良い。だがもう少し人工的な音、かつ情報量がなるべく少なく。なのに奏者の意図が滲むならば、なお良い。

 アンビエントとも違うが寛げるノイズとして、僕は本盤を聴いている。

 偶発的なガリやざらつく電子ノイズは、何かの拍子に耳へはいるかもしれない。だが連続的に無造作に、かつなんらかの作品性を持って聴きたいときもある。それには中村の音楽はぴったりだ。

 ドゥナーの連続する息音が延々と持続する場面は、掃除機の音を聴いてたっていい。でもモーターの回転とは違うダイナミズムと揺らぎが、この息音にはある。しかし長い持続だ。循環呼吸かな。すごいハイテクニックの無駄遣いだ。

 Vorhernachを翻訳にかけても出てこない。Vorher Nochならばドイツ語で「まだ前に」って意味らしい。
 曲名のNachhervorもだめ。Nach hervorならドイツ語で「記載した後」。VornachherはVor nachherなら「その後の前に」と出た。
 この単語の切り方が正しいとして。それぞれの主体となる立ち位置はどこだ。前か、あとか、その前か。これも足元が危うくなる不安定さが面白い。
 
 本盤はノイズが目的ではない。既存価値の解体を狙うスカムさもない。音色に惚れて追及、にしてはクールすぎる。ただ、前衛と即興の文脈に寄り添っている。安易な片手間の音遊びではなく、真剣に。

 ようは贅沢な話だ。およそ受け入れられにくいノイズを、破壊衝動と言う別のノイズ市場とも距離を置いて、独特の立ち位置を作ってる。ここで聴けるノイズは、ともすれば耳をふさぐ人もいる。ノイズ音楽の轟音とは違う、異物さの雑音を音楽に仕立てた。

 ストイックに聴くべきものかもしれない。だが僕はBGMとして、緩やかに聴きたい。
 非日常がこんなにも容易かつ鮮やかに、目の前にスピーカーから描かれる。贅沢な話だ。本盤で聴ける音楽は、意図しなければ出会えない。何度も聴きこみ分析することに抵抗を、むしろ罪悪感すら覚える。

 奏者は即興とは別の意味で、この音を同じタイミングで再現することは不可能だろう。再現することに意味があるかも怪しい。そう、この手の音楽を聴いてると、意味性って言葉へ非常に考えが深まる。

 一過性の使い捨てには惜しい。再現性も物語性も無いが、偶発の瞬間を封じ込めたスリルがここにある。

Track listing:
1.Nachhervor (25:50)
2.Vornachher (27:52)

Personnel:
Axel Dörner: trumpet
中村としまる: no-input mixing board

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