疑似的な世代ギャップの実感

 "翼を持つ少女 BISビブリオバトル部"山本弘:著(2014:東京創元社)を興味深く読んだ。

 きっかけは、がぶるさんの日記から。本を紹介しあい、最も「読みたい」と思わせるプレゼン者が勝利という「ビブリオバトル」。これをテーマの青春小説で、冒頭の話は15歳のSFマニア少女が、エドモンド・ハミルトンを軸に熱くオールドタイムSFを語るって内容だ。

 著者はと学会の初代会長で僕より一世代上、当然ながら70~80年代の翻訳SFはリアルタイム。登場人物の"15歳少女"が語る内容は、当然ながら基礎教養として身についておられるはず。でも、確かに今、15歳の少女が当時のSFを調べるなら、こういう知識になって不思議じゃない。
 当時のことはネットで調べてもよくわからない、って中途半端な知識しか持てぬ15歳少女の焦りと、その少女が知りたい本が片端から脳裏に浮かぶ、ぼくの世代。あくまでフィクションだが、その世代ギャップに、歳を取るとはこういうことか、ってしみじみしながら読んでいた。

 ぼくが図書館に通い詰め始めたのは82年。13歳の時だ。ハヤカワ・SF・シリーズは過去の本だが、文庫の青背や白背は当たり前。キャプテン・フィーチャーは神田でボロボロの古本で買った。たしかリアルタイムで絶版じゃなかったかな。
 だが図書館には当時の翻訳SFがずらり。ポール・アンダースンやシャンブロウは読まなかったが、どんな本だったかぱっと頭に浮かぶ。当時は筒井康隆を筆頭に、日本人SFばかりで海外物は手が回らなかった。
 でも最初に図書館で借りたのはハヤカワ文庫Jrの"驚異のスパイダーマン"だったっけ。若い奴らは知るまい。そういうのが、あったんだ。


 本棚にはなんか、いっぱい本がある。でも読み切れない。読んでも(当時のぼくには)難しくて面白くない。いつかは読もう。
 ハインラインやクラークやブラッドベリ。シマック。そんなのを横目に見たまま、ろくに読まず今に来てしまった。

 実際の15歳は、どんな経路でオールドタイムSFに触れるんだろう。まさかほんとにレンズマンでもなかろう。
 最近はいわゆる海外翻訳小説を、すっかり読まなくなってしまった。昔から「いつかは読もう」と思ってた、山のような未読本がある。かといって現代と乖離して、古いものだけに浸って読みつぶす人生もつまらん。でも新しいものだけを読み散らかし、消費のみの生活もつまらない。ようは今も昔もバランスか。

 中学生のころ、図書館の棚を眺めては膨大な未読本にため息をついていた。棚を行き来しながら、「どれを読もう。全部は読み切れない。面白いものを読みたい。どれを読もう」と、アオリ文句を読み比べながら必死に本を選ぶ、中学生くらいの気持ちがブワッとよみがえってきて、面白く"翼を持つ少女 BISビブリオバトル部"を読んだ。

 ハインラインも「分厚くて難しそう」と、当時は後回しにしてたな。でも、今は電子書籍でいろいろ出てるみたい。たとえば、このあたり。通勤のお供に一冊くらい、手に取ってみようか。でも、今更かなあ・・・。
  

 といいつつ、次に読もうと買った小説が、「テロ」シーラッハ:著(2016;東京創元社)。これから、読み始める。 

 『2013年にドイツで飛行機をハイジャック。だが、空軍少佐が独断で旅客機を墜落させた。乗客164人を殺し7万人を救った彼は英雄か? 犯罪者か?、
 結論は一般人が審議に参加する参審裁判所に委ねられた。検察官の論告、弁護人の最終弁論ののちに、有罪と無罪、ふたとおりの判決が用意された衝撃の法廷劇。』
 ・・・だそう。この紹介文は公式のアオリ文句を、ちょっといじった。なんか、面白そうでしょ。

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