"Noa 2"(2001) 山本精一

 ひそやかでプライベートなエレキギター・ソロ。

 ぼくは山本精一への熱心なリスナーとは言えない。ライブもほぼ全く聴いたことがないし、アルバムも思い切り断片的にしか聴いてない。本盤はなんとなく気になって、ふと入手した盤。"Noa"(1997)に続く山本のギター・ソロで、アンビエントや前衛性へ特に着目した作品、らしい。

 確かに本盤でのギターはすごく静かで断片的だ。リズムやミニマルさはぱっと聴き、感じにくい。特に(8)で顕著だが出音のタイミングはなんとなくリズミカルなため、山本の頭の中では独特なタイム感があるのかも。
 無造作な爪弾きがたっぷりした静寂の合間に、ばらりと鳴る。そこに作曲や恣意は、恐ろしく感じられない。思うがまま。
 
 例えばヴァンデルヴァイザー学派の「無音も作曲の一部」みたいなコンセプト性も無い。空白はたんなる"間"だ。もっと日本的な何か。侘び寂びに無理やり縛り付けたくはないけれど。
 無音が目的ではなく、探りもしくはたんなる呼吸のタイミングとして、たまたま無音が存在するだけ。無音の中で音を探す緊張はない。
 その無音ぶりも7分程度ある(1)だけ。(2)ではとたんに、もっとぎくしゃくする無秩序なフレーズに楽想が変わる。

 ならばデレク・ベイリー風の音律をあえて外す前衛アプローチかと思ったら、大間違い。もっとこの演奏は、内省的だ。たまたま、へんてこなフレーズが出てきただけ。それを素直に録音したのみって感じ。
 (10)では速弾きと前衛が混在した、不思議な音像を味わえた。逆に(13)では広がりある残響を美しく紡いだ。

 ギター一発録りだけでもないようだ。(5)ではカリンバの断片もギターにかぶさり、無秩序な賑やかさを演出した。(6)はアコギの爪弾きに、ミュートした弦のかきむしりをダビングか。

 「宅録~D.I.Y.ミュージック・ディスクガイド:Home Made Mucic」江森丈晃:著 (2011,スペースシャワーネットワーク)に、山本精一のインタビューが載っている。
 そこで山本はMTRのVS 880へ、日記のように初期衝動をそのまま録音してくさまを、とつとつと語ってる。
 本書に本盤への言及は見当たらないが、まさに本盤の録音スタイルではなかろうか。

 

 ポップもアヴァンギャルドも気にしない。独立独歩な山本の、脳みその片隅で突然鳴った響きを、すいっと封じ込めた。そんな盤だ。
 全14曲。一分半の小品から7分越えの尺までまちまちだ。どっちかと言えば、小品が多いかな。
 いわゆるチルやアンビエントには向かない。音数こそ少ないが、結構引っかかり多くて刺激的な盤だから。

 なお本盤の原盤はアルケミー。ずっと廃盤だったが2013年に"Noa 1"と合わせ2枚組でYOUTH INC.より再発された。


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