"アルプ"(1992) 明田川荘之

 明田川荘之の特徴は、積極的な曲の献呈である。

 ほとんどの曲は誰かに捧げられてきた。クラシックなどでの標題音楽をジャズ的に解釈、だと思う。つまり演奏へ自由な解釈を許しつつも、曲想へのコンセプトを観客に明示する。すなわち構成するが放任する、アケタ流のあらわれと考える。
 なお"わっぺ"のライナーで「標題音楽は嫌いだ」と明田川は明言した。

 さらにブルーズへのこだわりが明田川の特徴だが・・・これは僕は音楽的知識不足で、上手く分析できない。本盤のライナーでも、興味深い作曲術が載っているのだが。
 本盤は(1)がタイトル通り高柳昌行へ。(2)が明田川の父、明田川孝の同名彫刻へ。(3)は明田川の妻へ捧げられた。
 (2)は今でもライブの重要なレパートリー。後年、様々なアルバムで何度も再演が収録されてきた。娘の明田川歩と共演の"さよなら室蘭長瀬氏~そしてエミ"(2008)では、歌詞が付いたバージョンの本曲も聴ける。

 (1)や(3)もライブで聴き覚えある。(3)の録音音源は、他のもなぜか30分あまりの長尺に渡る。そういう構成らしい。どの辺が長くなるのか、謎だ。
 本盤参加メンバーのうち、既に板谷博も山元恭介も他界が、何とも言えぬ時の流れを感じる。今から23年前の録音。

 (1)は板谷の時々ぶわっとはじける、スケール大きいアドリブが耳に残る。端々にスインギーなフレーズが混ざった。明田川が高柳追悼ライブをアケタの店でやったとき(共演:広木光一、斉藤徹ら)、即興的に作った楽曲という。

 (2)はソロみたいな、セッション音源だ。しみじみと明田川のピアノが冒頭から広がる。リズムも共演者のアドリブが無くとも成立する、明田川の世界観が広がった。
 そしてドラムが加わっても、邪魔をしない。このセンスは独特だ。ドラムの楠本卓司は、今も共演を続ける。ちょっと確認しながら叩くような、独特のタメを持つドラミング。本盤ではもっとあからさまに、ポリリズミックなテンポをぶつけてきた。

 ホーンは中盤で滑らかに加わる。テーマからすぐさま旋律を崩し、緩やかにアドリブへ雪崩れるトランペットが美しい。ベースは淡々と刻み、ドラムはリズム・パターンを作らずにグルーヴを構築した。
 明田川はアフリカン・ベルを一振り。ピアノを細かく奏でた。トランペットのアドリブを邪魔しないが、かといってバッキングにも留まらない。自由なスタイルで。
 終盤でホーン二管のアンサンブルへ変わる。この流れも美しい。

(3)は明田川のシンセから。パイプオルガンのように、緩やかで伸びる旋律をたっぷり響かせ、ビブラフォン風の丸い音色で一転ジャジーに決める。とにかく粘っこい旋律で、ぐいぐいくるグルーヴの名曲だ。この盤では激しい熱気はむしろ控え、クールなソロ回しでじっくりと練り上げた。
 最後にシンフォニックなシンセへ戻る。ピアノを使わず、27分の長尺を弾き切った。
 
 明田川の音楽を聴くほどに、ソロへ惹かれる。独特の間や奔放なソロ回しにハマっていくからだ。けれども決して明田川は自閉しない。本質は、セッションにある。バンドでもない。この後続く盤でも、共演者は様々に変わっていく。気に入ったメンバーがいても、敢えて固定を避けるかのように。

 僕が明田川の音楽を知った時、アケタの店では月に2回の演奏が定番だった。一回は深夜のソロ。そして一回はセッション。ベースやドラムがほぼ固定な時もあるし、今はバンドっぽい固定メンバーだ。
 とはいえセッションの顔ぶれは毎回異なる。特に数年前までは、かならず違う人と意識的にセッションを重ねてたように。定番プログラムを避けたい、ライブハウス店主の視点もあるとは思う。しかし常に違う音楽を求めたい、ミュージシャンの本質が先に立つと想像してきた。ほとんどのライブを聴き逃してるのに、そう解釈は変なのだが。

 そう、明田川は膨大なリリースを誇るが、あくまでもセッション。コンセプトに縛られず、一期一会の機会を大切にする。ここにも「録音のアケタ」「アケタの店」というアケタを論じるキーワードが隠れている。

<収録曲>
1.ブルース・フォー・ジョジョ
2.アルプ
3.マジック・アイ

Personnel:
明田川荘之(p,syn)、岡野等(tp)、板谷博(tb on 1,2のみ)、山元恭介(el-b)、楠本卓司(ds)

録音:
92年8月14日  アケタの店Live
92年10月14日 関内エアジンLive



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