ノイズへの憧憬

 大友良英「大友良英のJAMJAM日記」(2008年:河出書房新社)を再読中。

 寝る前に数十ページづつ、ちみちみと読んでる。改めて、面白い。ぼくはこの日記を読んで、ノイズへの興味や嗜好が変わった。前にどうしても気になったフレーズが書かれたページが思い出せず。ようやく夕べ、たどり着いた。

 本書は98年から始まる。冒頭の記述がGround-Zeroの融解ギグから。その後に大友はFilamentやI.S,O.を初めて、新たな電子ノイズ世界へ邁進する。猛烈に海外ツアーをやってた頃だ。やがてONJQを立ち上げジャズのルーツと向き合う。もちろん、映画音楽も色々と。そんな時期までの記録。
 つまり大友良英が、より大友良英になる。そんな時期。

 本人のインタビューから引用すると、"スランプ"の時期。

繰り返しているだけに思えてきて。ノイズとか即興って一度しかできないから面白かったのに、「こうやるとウケる」というパターンがいつの間にかできあがってしまって、それをやってウケてっていうのが何もかも嫌になってしまって。


 "JAMJAM日記"を読んでると、試行錯誤のスリルが伝わり興味深い。道楽じゃない、ミュージシャンとしての活動だ。大友はこの時期、Ground-Zeroのファンを全て振り払い、新しい音楽を模索した。そしてとても、独自の世界を作ったと思う。

 ぼくが大友の名を知ったのはいつだろう、まったく覚えていない。いつの間にか存在を知ってた。でも音は聴いたことが無く、なんかアヴァンギャルドな音を出す怖い人ってイメージだった記憶がある。当時の楽器がタンテかまな板ギターかも覚えてない。

 彼の生演奏を見たのは、ぼくがライブに行き始めたころ。たぶん99年5月7日新ピの「菊地雅章SLASH TRIO +大友良英」だと思う。タンテを演奏してた気がするが、記憶があやふやだ。このころはHPも立ち上げておらず、記録が何もない。正直、目当ては吉田達也だった。

 大友良英を意識し、明確に聴き始めたきっかけはそのあとだ。01年2月11日の新ピでONJQ。こっちは日記から記憶を辿れる。その場の音楽が理解できなかった。だから、興味を覚えた。
 
 大友良英は極北であり交差だ。プレイヤーとしてギターを奏でられる一方で、演奏技術へまったく依存しない音楽も志向する。電子ノイズだけを操る奏者とも、楽器演奏を踏まえたミュージシャンとも立ち位置が異なる。そして、どちらとも調和できる。この二面性が彼の最大の武器で、最高の独自性だ。
 その立ち位置を模索し続けたのが、"JAMJAM日記"に記された10年と考える。

 肉体的なジャズ志向での特徴は、周波数演奏を取り入れた点だ。そもそも大友はノイズのアプローチも、ものすごく独特だ。誰とも違う。第一世代のノイジシャン、メルツバウや非常階段、インキャパシタンツよりも大友は、もっと直感的にノイズに触れている。

 物凄く乱暴にまとめると、メルツバウはアート志向の前衛性とノイズを音色に見立てたオーケストレーション。非常階段は即興が持つダイナミズムの純度を極限まで抽出してる。インキャパは徹底して無邪気にノイズそのものを愉しんでる。
 だが大友は周波数としてノイズに触れてる気がしてならない。つまり何Hzの音域を使った音楽、を演奏しているように見える。

 ヴァンデルヴァイザー楽派や、日本の電子ノイズとも立ち位置が違う。それでいて、馴染む。不思議な立場だ。
 日本の電子音楽は、場を作った"Improvised Music from Japan"主宰の鈴木美幸がとびきりの英雄だ。オフサイトを重要な役割にするとしても。中村としまるや秋山徹次、杉本拓に宇並拓らをはじめとする才人らの活動は、"Improvised Music from Japan"が無ければぼくは決して知ることがなかった。

 大友は"Improvised Music from Japan"系のイベントに登場しながら、どこか異物だった。その理由がずっとわからなかったが、"JAMJAM日記"を読んで膝を打ったんだ。
 その記述がどこか思い出せなかったが、ようやく見つけた。二つ、引用する。

04年3月の日記:(P197)

(前略)はっきり言って面白くない。だいたいは静かに始まり、少しずつ盛り上がって、そのうち四〇~八〇Hzくらいの低音がドローンのようにシーツを作り、その上で、まるでフリージャズでもやるかのように中音域が暴れて、いい気持ちになったところで徐々に収束していくいつものお決まりの展開…(後略)


04年6月の日記:(P199)

(前略)私が選択したいのは、もっと積極的に、非生産的な音を、安易な美的方向に向かわない音を出し続けること。そしてそんな音を出すことを私個人の生活の基本にすることから考えよう(後略)


 前者が最も好きなフレーズだ。それまでもやっとして言語化できなかった、「お約束」「流れ」「盛り上がり」を、明確に言語化できた。大友はこれを理解しつつ、なぞらない。挑戦を続ける。その苛立ちとパワーが大友の音楽が持つ魅力だろう。

 後者は大友の音楽を明確に定義したフレーズだ。「非生産的な音」って!と、当時衝撃を受けた。じゃあ生産的な音ってなんだよ、と。メロディや和音、ビートを"生産的"と捉えたことはなく、ものすごい刺激的な表現だと思った。このころからぼくは「今聴いてる音楽は生産的か。そもそも生産とは何か」と考えながら音楽を聴いている。
 「意味」でも「ストーリー性」でもなく「生産的」って。未だにこの刺激は忘れない。

BGM(その1)I.S.O."重力時計"(1998)
 デビュー作、かな。Sachiko Mと一楽儀光のユニット。久しぶりに聴いたら、えらくポップで驚いた。冒頭からリズミカルなPing音がミニマルに繰り替えされ、じわじわと電子音が混ざってくる。
 2曲目以降も、電子音とノイズがストーリー性を持たずに重なり合うが、すごく聴きやすい。排除や疎外の前衛性を目指さず、馴合わないアンサンブルを志向のためか。変な音を出すのが目的じゃない、ってこと。
 とはいえまだ、探ってる。だからサンプリングやリズミカルなループへ、今の耳では逆に戸惑ってしまう。もっと無機質に、さらにピュアに、と。

BGM(その2)大友良英/Sachiko M/中村としまる "Good Morning Good Night"(2003)
 清らかで無機質、鋭くて懐広い電子音楽。その理想形がこの盤。CD2枚組で、ひたすら意味合いのとれぬノイズが詰まった。音を出しっぱなしじゃない。空白も音楽にした。しかしヴァンデルヴァイザー楽派の「空白」へ意味を持たせるアプローチとも、明確に異なる。
 
 中村としまるとSachiko Mで組んだユニット。つい何年か前も、ライブをやってた気がする。聴き逃したが。
 ちなみに中村としまるは普通のバンドも過去にやっていた。"A PARAGON OF BEAUTY"(1995)はチェンバー・プログレ風のアンサンブルがかっこいい。"GENERAL IN EXILE"はめちゃくちゃ好きな曲だ。

 この盤はたまに聴きかえす。音楽ってなんだ、と考えるのに最適の盤だ。ぼくはPCオーディオで聴いてるが、ものすごいスリルを味わえる。PC経由だからPCファンの音やハードディスクの唸りも流れる。その音って、この盤の音色と酷似してる。ちょっと配線触ってガリが出たときは、この音楽の邪魔をしてるんだろうか。そもそもサイン波の上のほうって、ぼくの耳へ届いてるのか。
 リッピングの時点で音質劣化してるよな。でもこの音楽で音質ってなんだろう。

 イヤフォンで聴きながら、雑踏を歩くのも素敵だ。どんなにボリュームあげても、この音楽は街の音が聴こえる。そもそも聴き洩らしをせずに耳を澄ませることを、この音楽は求めているのか、も含めて、音楽ってなんだろうと考えてしまう。
 「今、ぼくはこの音楽を聴けているのか」を考えながら歩いてると、強烈な現実喪失感を覚える。それが快感で、不安で、不思議な気分だ。

 超ハイグレードのステレオで、他のノイズがいっさい聴こえぬ場所で本盤を聴いたら、印象が変わるのか。いや、そもそも・・・それって正しい聴き方か。生産性はあるのか。
 本盤は猛烈な問題作で、傑作だ。

これが本盤の1曲目。
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