ファン目線との闘い。

映画"ラブ&マーシー"を見てきた。あれは卑怯だ。映画としてはめちゃくちゃ。しかし始まって2分で感激の嵐が押し寄せてくる。


"ラブ&マーシー"はビーチ・ボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンに焦点を当てた2014年の映画。観客層のターゲットはどのへんだろう。それともアメリカでブライアンの一生って、そんなに有名なのか。日本だと桑田圭祐みたいな人だと思うが。橋幸夫かな。

ぼくはブライアン・ウィルソンに対する評価が非常に甘い。もう、生きてくれてるだけでもいい。歌ってるだけでいい。アルバム一枚出したのが奇跡だ。活動続くだなんて。ツアーだって、ほんとかよおい。"Smile"を出すなんて。72歳にして2015年に新譜をだすだとお!
しかもそれぞれが、リハビリを超えた上質なクオリティを叩きだしている。脅威だ。歴史のいたずらだ。心底、そう思う。運命もたまには嬉しいことをやってくれる。

だって、今はデニスもカールもいない。いちばんヤバかったブライアンだけが生き残り、曲がりなりなんて言葉がいらないほどの活動を続けてる。別にぼくはブライアンのライブに行きたいとは思わない。
ブライアンは24歳(!)で"ペット・サウンズ"(1966)を作ってくれただけで十分と言ってもよかった。
あとは言い方が難しいが、オマケみたいなものだ。体重150キロに膨れ上がり、酒とドラッグに埋もれた生活が何年も続く。

ぼくがビーチ・ボーイズを知ったのが85年かそこら。"Getcha Back"(1985)が出てたけど、ブライアンはもう廃人だと思い込んでた。だから88年に1stソロが出たときは仰天した。復活できるんだ、と。
ボロボロの声と安っぽい打ち込みトラックに埋もれても、ブライアンは居てくれるだけでよかった。"He Couldn't Get His Poor Old Body to Move"と歌う、自己への皮肉を言えるまで復活したなんて、と。信じられない喜びだった。

前置きが長いね。ぼくはビーチ・ボーイズは66年くらいまでが一番好きだ。最大の傑作アルバムは"Shut Down Volume 2" (1964)だと思う。
だから映画が始まって数分後、「おお!写真が動いてる!カラーだ!」と狂喜しながら画面見てた。無志向マイクの周りでハモる姿、レコーディング風景を覗いてるかのようだ。
映画館ならではの音響効果も素晴らしい。サラウンドでぐるぐるとまわる夢の中のような音楽の断片が飛び交うさまは、しみじみ美しく耳に心地よかった。あの冒頭5分間だけで、映画観に来た価値がある。

でもちょっと見てたら戸惑う。あれ、なんでキャデラック買いに行くの、と。ディーラーの女性がメリンダと名乗って全てわかったが。他の時代はともかく、86年のブライアンはちょっと役者が似てない。あと3センチ生え際を前にして、もう少しふっくらして欲しかった。

いや、そんなことはいい。とにかくびっくりなのはシナリオの豪快さ。60年代と80年代が、しばしば無造作にジャンプする。それもろくに説明なしに。ぼくはいいよ。ほぼ、すべてのシーンがなんなのかわかる。説明なんて要らない。むしろ邪魔だ。
でもビーチ・ボーイズを知らない人って、あの映画見てもチンプンカンプンじゃなかろうか。

特に後半は、混沌が加速する。60年代も80年代もどんどんブライアンがイッてくる。酩酊っぷりを表現した、無意味にサイケなシーンも頻出した。なんだこの映画。
役者は上手いことブライアンを演じており、どんどん恍惚の精神障害に向かうブライアン、リハビリが上手くいかず苦悩するヘンテコなブライアンが飛び交う。
なにを言いたいかは、良く分かるよ。でも説明がなんも無くない?と首をひねってた。

ブライアンのファンに向けた映画なら、あれはバッチリ。一般向ならあのシナリオはちょっとなあ。なまじブライアンの再生を描こうとしたから始末が悪い。人生なんてどうでもいい。音楽だ。無菌室に入り音楽だけ作る人生もあったのでは、と夢想してた。
それほどブライアンの人生は、よけいなノイズと苦悩が多すぎだ。

ビーチ・ボーイズの皮肉が60年代のシーンから、ボロボロと零れてくる。売れ線じゃないと非難するメンバー。怒りを隠さない父親。でも、中心にいるのはブライアンだ。全てがブライアンにすがる構図だ。おんぶにだっこのボスへ、文句言いまくる取り巻きどもってどうよ。あの絵面は辛い。ビーチボーイズのブランドを守るがゆえの主張、とは分かる。でも、ブライアンを責めずに自分で曲を作ればいいじゃないか。

あの当時、ソロ・アルバムの文化がロックの世界に無くて幸運だった。あと5年あとなら、ブライアンはソロに向かい、ビーチ・ボーイズは別バンドになってたろう。

日本公演を終えたメンバーが"ペット・サウンズ"の音を聴く。マイク・ラブがスタジオの外でブライアンに「あれはブライアンの音だ。BB5じゃない。人の気持ちも考えろ」と言い放つ。
「ならグループ割ればいい。コーラスでBB5を雇えばいい」と思いながら見てた。でもこの当時、こんな文化は希薄だった。70年代なら、80年代なら。ソロ活動イコールバンドは空中分解だ。そんな構図を何度見たことか。
"Caroline, No"(1966)は最初、ブライアンのソロとしてシングルが切られた。なのになぜバンドが解体しなかったのか。兄弟だからって理由だけか?今でも謎だ。

BB5とブライアンは別、ってメンバーたちが割り切ったのは"Wild Honey"(1967)あたりかと思う。とはいえ実際には1年前くらいから、ある程度当事者たちは割り切れてたのか。"Smiley Smile"(1967)をまとめあげた時点で、何かが変わったのか。
どうせBB5の人間模様を描くなら、このへんの関係分岐点に興味がある。クリエイティティブさとビジネスと、どう踏み分けたのか。

それとマイク・ラブがヴァン・ダイク・パークスも追い出す、あのプールのシーン。良く言うよな、と思ってた。ヘロヘロなブライアンだが、あれだとヴァンがたんなる嫌なインテリにしか見えない。なんだかんだ言って、当時のブライアンの抽象性を形にしたのはヴァンの力もあったろうに。

80年代のシーンもそうだ。ユージン・ランディはクソ野郎に描かれてる。だが都合よく切り取ってるため、ランディが抑圧者にしか見えない。ランディを最初に雇ったのはブライアンの前妻マリリンだ。いったん首にしたのに、もう一度ランディを雇ったのも事実だ。Wikiでざっと書いてある。https://en.wikipedia.org/wiki/Eugene_Landy

このへんも、この映画の中途半端なところ。ブライアン公認で作ったがゆえに、都合悪いところはみんな端折ってる。150キロまで膨らんだ廃人を、80キロまでシェイプアップさせて表舞台に復帰させたのは、間違いなくランディだ。誰もが嫌がることをやってのけた。たとえ名誉欲や金銭欲が原動力だったとしても。

もっともぼくはランディってヒドい男だと思う。異論は無い。
でも映画の後半でランディがメリンダに切れるシーン見て「そうだよなあ」と思った。ランディは廃人の天才へ数年間、24時間付きっ切りで過ごした。ドラッグ抜いて体重落させることをやり遂げた。そりゃあめんどくさいから、リハビリのついでに洗脳もしたくなる。
なのにようやくアルバム作って復帰し、これからブライアンが金ヅルになっていく時に、メリンダらの横やりで接見禁止に追い込まれた。そりゃランディも怒るよな。

ランディは映画の中で叫ぶ。うろ覚えだが、こんなセリフだ。
「金の貰える順番は決まってる!欲しいなら、後ろに並べ!」と。実際にランディがこんなこと言ったのかは知らない。でもこれは、素晴らしくランディの人物像を描いたと思う。これを言えるのは、ブライアンを復活させた人ならでは、だ。

しかしブライアンはズルい。あの天才っぷりは何なんだ。メリンダの前で"Love & Mercy"を弾いてみせるシーンにはグッと来た。反則だ、あれは。
66年のシーンでキャロル・ケイから「コード違わない?」と指摘され「これでいいんだ」と断言する。スタジオの外でハル・ブレインから「スペクターより天才だ」と褒められ、浮かれるブライアン。無邪気で才能に満ち溢れてる。録音シーンのカッコよさったらない。

ああいうほのぼのしたシーンだけで、この映画をまとめて欲しかった。ブライアンの復帰は嬉しいが、そこに焦点当てなくてもいいじゃん。60年代半ばまでの天才が、崩れていくさまのクリエイティブさだけでいいじゃん、と。

この映画は監修に萩原健太のクレジットあり。おかげで字幕に不安要素が皆無だ。上演前に宣伝インタビュー見てたら「映画の内容より細かいシーン見てるだけでマニアは楽しい」みたいな、萩原健太のコメントがあった。
言い得て妙。映画としての出来は、ぶっちゃけどうでもいい。さまざまな音楽の断片が飛び交い、映る風景はファンタジー。写真が動いてる。録音スタジオの中にいるかのよう。それだけでいい。ドラマはもう、どうでもいい。

というわけで、ぼくはブライアンが絡むと判断基準が物凄く甘くなる。"ラブ&マーシー"は面白かったよ。説明不足で、間口の狭い映画とは思うけど。

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