縦と横のクラシック鑑賞

"世界最高のクラシック"許光俊:著(2015:光文社文庫)を読んでいる。02年の同社新書を文庫化したもので、指揮者について時系列分類で語ったもの。本書では5種類に分類された。


(1)19世紀生まれ、クラシックが生々しい芸術だった世代。
   フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、クナッパーツブッシュ。

(2)直後の世代で、少々冷静さにクラシックと対峙の世代
   ベーム、ケンペ、ザンデルリンク、クライバーなど。

(3)モダニズムと普遍化を意識した世代
   セル、カラヤン、ヴァント、ブーレーズ。

(4)異文化からクラシックにふれた人たち。
   小澤、バーンスタイン、ミュンフン、バティス。

(5)独自性をはかった人たち。
   クレンペラー、チェリビダッケ、インバル、ラトルなど。

 今は(3)の途中まで読んだところ。ぼくの世代だと、リアルタイムでカラヤンが生きてた。フルトヴェングラーやトスカニーニは前の世代って印象だ。それでも上記の分類まで頭が回らなかった。

(1)はロマン派の作曲家がリアルタイムに感じられた世代、と著者はいう。
「クラシック音楽は遠い世界のものではなかった。大作曲家の新作が話題となるのを見聞きすることもあれば、初演を聴くこともできた」って描写に、がんっときた。
 そうか、時代感覚が違うのか。例えばベートーベンの第九は1824年に初演。フルトヴェングラーが20歳の1906年の82年前。これは感覚が近すぎる。

 ぼくにとってもベートーヴェンは教科書の中。江戸時代の人だ。文政7年。
 だが2015年を起点の82年前って、1933年。ディズニー"三匹の子ぶた"が封切られ、ヒトラーが政権を取った歳だ。つまり歴史だが、決してはるか昔じゃない。
 フルトヴェングラーの世代は、クラシックの瑞々しさが今とは全然違ってたんだ、とびっくりした。
 
 いわゆる(1)世代のクラシック奏者は、譜面にとらわれず個性をズブズブに披露した人たちって思い込みがあった。でも無理もない。この程度の古び方なら、ずっと親近感持ってクラシックへ触れたに違いない。

 ということでフルトヴェングラー。ほとんど聴いたことが無い。とりあえずベト7番、1943年を聴いて見た。うわー。すげえダイナミズム。ぶわぶわの鋼鉄スプリングみたい。


 対極でセルも聴いてみた。お膝元のクリーブランド・オケ。録音年は書いてない。うーむ、端正。しかし滲む情感の美しさよ。


 こういう本を読むと、クラシックをちゃんと聴いてないなあ、としみじみ思う。時代性やテクニック、解釈の対比でオケを聴き比べるのも間違いなく楽しい。
 ベト7番だけでも、著作権切れ音源集めた以下サイトで、膨大な過去録音が無料で手軽に聴ける。

 フルトヴェングラ-は権切れだがCDの入手性は?とAmazon見てみた。
いわゆる箱モノは107枚組が2万4千円であった。一枚当たり230円弱。新譜だとチャイコ集の箱、など。ここ1年は廉価ボックス発売のようだ。セルはモーツァルト33番とブラームス2番の発掘ライブ音源、が新譜扱いで出てた。



 なんというか、ファンもレコード会社もたくましい。

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