橘雅友会/聖グレゴリオの家聖歌隊 「命響」(2000)

 大真面目に仏教とキリスト教音楽を混ぜた異色な盤。

 ヒーリング企画や前衛目的の頭でっかちな企画盤ではない、ようだ。主催はたぶん、雅楽演奏団体の橘雅友会と、宗教法人の聖グレゴリオの家によるコラボ。実際の作曲構成はクレジットから読み取れず。各団体の活動を書き始めると論旨がずれるので、ここではあくまで音楽について触れる。

 雑踏のSEからピアノ演奏に。グレゴリオ聖歌から声明と雅楽へ。西洋と東洋が混在して、仏教とキリスト教が混淆して、この音楽は作られた。
 一曲目のピアノはドビュッシー。あとはグレゴリオ聖歌と声明が交互に現れる。厳粛で宗教的なはずの二つの要素が無造作に並列する。この居心地の悪さをあっさりと一つの音楽にまとめる極端な構成力が、ある意味でカタログ的に情報を並列させる日本らしい構造だ。
  
 この音楽は誰に向けた者だろう。少なくとも布教目的ではなさそうだ。
 熱心な信仰を持つ人には、異物が存在しそう。かといって不特定多数を目指した音楽にしては、あまりに荘厳すぎる。

 本盤には不真面目さやおちゃらけは皆無だ。真摯にそれぞれの音楽に向かい、そしてブロック構造で個々の場面がSEを橋渡しに繋がる。
 SEも単なる日常音だけでなく、抽象的なシンセの響きも混じる。

 なまじ中途半端にグレゴリオ聖歌も声明も耳にしたことあるだけ、奇妙な意味性を持ってしまうけれど。全く異世界のプログレとして聴けたら、本盤はかなり刺激的かもしれない。
 いやむしろ、知識が若干あるからこそ本盤の異様な混ざり具合に興味を持つのかもしれない。

 ヒーリング音楽と聴くには、少しばかり古めかしい響き。全部で10の場面に分かれているが、いくつかはメドレーでつながっている。
 グレゴリオ聖歌に雅楽が続き、読経に繋がる構成はかなりシュールだ。やがて読経とグレゴリオ聖歌が同時進行で提示された。何とも強烈なミックス感である。和音感は希薄で、充満する迫力が広がった。

 明確な楽曲構造や芯を通すメロディ、明確なメッセージがあるわけではない。場面ごとにそれぞれの宗教歌が浮かび、消えていく。チャカチャカ楽曲が切り替わる目まぐるしさはない。
 しかし戸惑いは最後まで拭えない。着地点が見えず、ふらふらと宙を漂いながら地面を高空から見下ろしてるかのよう。文化の蓄積も背後もすべて切り取り、混ぜ合わせた本盤は、なまじ強引さが無いだけに異物感が前面に出た。

 本質的に声明と雅楽だけでも違和感ある。それにグレゴリオ聖歌が加わった瞬間、いかなる場面でも聴けない不思議な空間に心が飛ばされた。
 最後はもう一度ドビュッシー。バッハでないところが、ミソか。あえてキリスト教の影響が希薄な印象派を選んで、繊細だが力技で幕を下ろした。

 本盤は奇妙な魅力を持つ。歴史の雄大さを敢えて雑多にDJミックスめいた構造にて混ぜることで、逞しい混沌さを表現してる。 



Track listing:
(1) 1. SCENE1 現実 逃避 沈める寺 (Overture)
(2) 2. SCENE2 降臨 天地創造 復活の主日・日中のミサ 入祭唱/Nyuusaishou
   ~3. 初伽陀/Shokada
(3) 4. SCENE3 混純 離脱 平調調子/Hyoujouno-chousi
  ~5. Jigage
   ~6. 復活の主日・日中のミサ 奉納唱/Hounoushou
(4) 7. SCENE4 光明 夢 酒胡子/Syukousi
   ~ 8. 対揚 次第音/Taiyou
  ~ 9. 復活の主日・日中のミサ アレルヤ唱
(5) 10. SCENE5 伝説の彼方より 沈める寺

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