野村喜和夫/翠川敬基/大友良英 「Ututu/独歩住居跡の方へ」(1996)

 相いれない方向性そのものを目指したかのような企画盤。頻繁にのめりこまないが、たまに聴きたくなる。自分の方向性を見失いそうなときとか。自由な方向性こそが大切なんだと気づくために。

 詩人と第三世代日本フリージャズの極北と、第四世代でジャンル横断の放浪者。三者三様の立場なコラボレーション。
 便利な言葉だ、コラボレーション。頭でっかちなコンセプト先行も、互いに寄り添って新たな融合を目指す作品も、両方呑み込める言葉だ。

 本盤のあと、彼らが積極的に共演してきたとは聞かない。あくまで一期一会の作品みたい。
 ライナーによれば95年10~12月に天王洲アイルで行われたイベント「現代詩フェスティバル'95 詩の外出」がきっかけ、と記載ある。それぞれの立場で出演か。さらに数か月後に、都内のスタジオで再会を果たして本盤に至ったらしい。
 本盤の録音は96年4月24~25日に、吉祥寺GOKにて。このときが「再会」そのもののことか。

 本盤で朗読をした野村喜和夫は、51年生まれ。87年頃から教師のかたわら詩人の活動を始めたとある。このジャンルは詳しくないが、検索すると現在も活動を活発に続けているようだ。
 翠川敬基は49年生まれだから、ちょっと上の世代。69年頃よりナウ・ミュージック・アンサンブルを皮切りに、高柳昌行、佐藤允彦、富樫雅彦といった当時の日本フリージャズの草分けたちと片端から共演を果たした。いわば最先端の象徴ともいえる。

 この95年頃の翠川は自らのグループ、緑化計画を軸に活動だろうか。さらに「クラシック化計画」やフラメンコの伴奏などジャンルに留まらない活動を続ける。確かなテクニックに裏付けられた奔放なボウイングと特殊奏法の嵐が特徴であり、それでも溢れだす芳醇なメロディ感が特徴のひとつ。

 大友良英は59年生まれで二人の一回り下。本盤録音は映画音楽家として活動を始める一方で、Ground-Zeroの1st93年に発売。ターンテーブル奏者としても海外で主に地歩を固めつつあるところか。

 つまり三者三様が極まれり。バブルのころに流行った突飛な競演の残滓と、21世紀のなんでもありなコラボのはざまに本盤は企画された。とはいえこの時期はCDのリリースが今ほどたやすくない。単に記録に残ってないだけで、似たような奔放な企画は珍しくなかったのかもしれない。このころのぼくは、このジャンルに積極関与はしておらず知識が足りない。

 本盤の主役は野村だ。腹から響く良い声で、静かに朗読が続く。ときおり芝居めいた調子や間を取ったりするけれど、基本は淡々と言葉が並んだ。さらにたまにリバーブやディレイ効果が施され、幻想性を増す。

 そこへ翠川や大友が音を足す格好が本盤の構造だ。決して三人のバトルが主眼ではない。
 全8曲中、三人の共演は3曲のみ。2曲は野村の独白となる。大友のターンテーブルによるコラージュ、断片的だがときおり美しくチェロが鳴る。そんなとりとめなく唐突で脈絡ない世界が、じわり広がった。

 独歩住居跡とは完全なる造語か、国木田独歩の住居跡、を込めているかは分からない。孤独で緊張したイメージをアルバム一枚をかけてじっくりと野村は表現した。

 大友はサンプリング的なターンテーブルと、ノイズの双方をバランスよく並べた。翠川は美しい旋律と、特殊奏法のノイズを次々に繰り出す。完全生演奏でなく、特にチェロはダビングもあり。
 顕著なのが(8)か。幾本ものチェロが飛び交う。さらにアナログLPのノイズと、リズミックなサンプリングがバラまかれる。

 どんな音にも揺らされず、しっかり野村は朗読を続ける。聴いていないのか、聴いたうえで反応しているかは分からない。一通り録音した後に、音楽をダビングにも感じる。
 それくらい三人の立ち位置と、音の関係は無造作な調和を見せた。

 互いが邪魔をしない。違和感もない。けれど寄り添いすぎもしない。明確な起承転結が無いため、個々の楽曲を集合でなく、大きな一つの抽象的な物語として聴ける。
 馴れ合いを三人が注意深く避けながら、きっちりと本盤で三人の音は調和した。この不思議な融和さが特異な魅力を持つ。

 CDの始まりはスクラッチ・ノイズとコラージュが噴出。大友による前衛的なイントロが紡がれた。続けてクロス・フェイドのようにチェロの独奏が美しく響く。
 数分かけて両極端ながら不思議と壊れない音楽が続いたあとで、おもむろに野村の朗読が無伴奏で始まった。

 もう一度書く。三者三様だが、とっ散らかってはいない。てんでに音を出し、濃密な世界を作らないせいかもしれない。明確な曲の区切りがあるわけでなく、普通に聴いてると翠川と大友の音楽が現れては消える。抽象的な風景が緩やかに変わった。まさに散歩をしているかのよう。風景は唐突で脈絡が無い。

 そして最終曲の(8)では前述のように、ダビングが重なった濃密な風景に振り回される。
 アルバム一枚を通して、繰り返しや予定調和は無い。すべてが注意深く外されている。
 けれども頭でっかちなコンセプト先行に終わらず、音楽として明確に成立した。三人のバランス感覚と構成力あってこそ、だろう。

 この盤を頻繁に聴くことはない。だが、たまに聴き返すと静かなスリルで心がそっと刺激を受ける。
 
Track listing:
1.いちばん普通のルートは
2.独歩住居跡の方へ
3.(あ、単に一つの杭)
4.こうして、それはつまり、動と不動の
5.その張り、その語らいの跡
6.それ、独歩、うすい
7.私の詩の行為は独歩住居跡に向かう
8.杭、この未知なるもの

Personnel:
野村喜和夫: text reading (1-8)
翠川敬基: cello (1, 5-8)
大友良英: turntables (1, 2, 6, 8)

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