Fedayien 「ファースト」(1990)

 荒ぶる若かりしジャズの勇者たちが、初めて残した軌跡。汗まみれでスリリングなフリージャズが楽しめる。

 川下直広、不破大輔、大沼志朗のトリオ、フェダインの1st。のちにStudio Weeを立ち上げる、脇谷浩昭がプロデュースした。当時の脇谷はまだレコード・コレクターズ誌の編集部に在籍かな。
 渋さ知らズの結成は89年。しかしレコード・デビューは93年。だから90年発売な本盤のほうがライブに触れてないと、認知は先だった。

 ライブを聴かなきゃ始まらない。今も昔もこのメンバーによる音楽スタンスは変わらない。けれどぼくがフェダインのライブに触れられたのは90年代末期。解散直前だった。わずか数回とはいえ、彼らのライブを聴けたのは貴重な経験だった。汗まみれで独特の熱血性を持つジャズは、特異な立ち位置と音楽性と感じた。

 フェダインのフリー・ジャズは沸き立つ熱気と、奔放さを恐れない尖鋭性、それと日本的なストイシズムがあった。求道性や根性論が似合う。がむしゃらながら自分を厳しく律する真摯な姿は、音楽性を超えた迫力と凄みがあった。
 既存ジャズのアンチテーゼや破壊衝動、もしくは理論的な偶発性でのフリージャズではない。川下のサックスに象徴される無軌道な方向性が、不破のベースでガッチリ固められて強靭なグルーヴを作っていた。

 ぼくが渋さを知ったのがたぶん97年くらい。吉祥寺東急裏でフリー・ライブをやったころ。その後、インターネットで地底新聞を見たんだったかな。それとも紙の地底新聞って存在してたっけ?委細を憶えていないが、不破の当時のライブ活動の中心がフェダインと、98年以降になってようやく知ったはず。
 だから完全に後追い。小岩のおーむも僕は知らない。活動初期の彼らを知るのに、副島 輝人:著「日本フリージャズ史」(2002)は必読だ。本書は内容自体も素晴らしく面白い。


 フェダインは当時、年間100本とも言われるライブを敢行していた。感覚的にはもっと。毎日のように日本のどこかでライブをしてた印象あり。それも旅つづきではなく、東京ならばあちこちの店で連日連夜固め打ち、みたいな感じ。
 だから彼らの存在を知ると、ライブが日常に感じた。つまり「聴きたければ、いつでも聴ける」と。そして喪失感を、解散して感じることになる。早く聴きに行けばよかった、もったいないことをした、と。

 フェダインは川下直弘トリオにドラマーを変え、少し音楽性も変化させて今も続いている。しかしこれまた、ライブにすっかり行きそびれている。彼らの音楽は、ライブを聴かなきゃ始まらないのに。

 ライブに行け。これで終わると、本項は身もふたもない。とりあえず本盤について書き進めていこう。
 本盤は代々木チョコレート・シティで90年4月1日のライブ。この店は行ったことが無く、キャパや客層が分からない。だがしかつめらしく腕組みして聴かず、盛り上がってる様子はよくわかる。意外と貴重な記録だ。日本のライブでこういうふうにジャズを聴く感覚って、珍しかったんじゃなかろうか。少なくともソロが終わるとお義理の拍手が飛ぶ感じではない。
 (1)のみ、渋さつながりで勝井祐二をゲストに迎えてスタジオ録音されている。
 
 とにかく三人の個性が凄まじい。鋭く切り裂き、疾走して暴れるドラムと咆哮するサックスをベースが見事に支えて、隙が無い。ベーシストの重要さがよくわかるアルバムだ。
 フロントに立つ川下と、わかりやすく派手なドラムを、猛烈にテクニカルで頼もしいベースが有機的に結合させている。不破のものすごさを痛感した。
 
 そもそも川下のサックスが独特だ。ぼろぼろのテナーに硬いリードを縛りつけて、無理やり音を絞り出してる感じ。実際のセッティングは知らないけれど。
 音と軋みが同時並行で、倍音成分が充満してる。リードミス寸前の軋みが頻出し、音程がときおり読めなくなる。音が千々に乱れひっくり返った音がそのままオクターブ飛んでフレーズに繋がるかのよう。
 
 同じフレーズを吹き鳴らしていても、毎回音色や軋み方が違う。常に違っている。こういうサックスは他に例を見ない。テクニックは音のコントロールに向かわず、自由さを横溢する頼もしさに向かった。フラジオが連発して危うすぎる音色は、ともすれば脱線し解体しそうなサックスだが、決して破綻せず猛進する。

 さらにフェダインではエレクトリック・バイオリンを弾くのも特徴だった。ソプラノ・サックスに持ち替えることも。本盤ではアルト・クラリネットもクレジットされた。
 彼のバイオリンやソプラノにもすごく味があったのだが、川下トリオになったら弾かなくなった印象あり。とはいえライブに行ってないので、えらそうなことは言えないが。

 大沼のドラムはアイスベルのセッティングがイメージにあるが、さて実際はどうだったろう。手数多く噴出しながら、根底にジャズのスイング感を滲ませた。
 リズムは着実ながら盛り上がると溢れる。それをがっちりベースが支えてる。

 不破のベースもこの時期は、ひときわ速かった。ぼくが見たライブでも、ソロになると唸りながら猛烈に高速フレーズをウッドベースから噴出させるのが見どころだった。解散後に怪我をしたせいか、音楽性が変化したか、ここまでの早業をのちの不破は見せなくなったが。

 前置きが長くなってしまった。本盤の感想。率直に言うと、線の細さがある。録音のせいか、マスタリングのせいか。本質である太さが減じられ、痩せている。ぼくは原盤で聴いており、再発でのリマスターは知らないが。一枚幕がかかったもどかしさを感じた。
 だが思い切りボリュームを上げたら、ある程度は解決する。90年はまだCDとして発展途上。レベルぶち込む音圧競争には至ってなかったから仕方ない。

 ライブのダイナミズムは存分にあり。ライブのワンセットを丸ごと切り取ったって臨場感よりも、1st/2ndセットから曲を選んで並べた。
 (2)や(5)と、川下トリオに通じる重要なレパートリーを収録した。(3)や(7)も後年のライブで耳馴染みある。(4)や(6)だって聴きおぼえあるな。ようは全部が一過性に終わらず。
 フェダインはレパートリーをじわじわ増やしつつも、ライブの数が多いため曲を大切に、練りこみ続けた。だからライブを聴かないと意味がない。どうも話が元に戻ってしまうな。

 フェダインを久しぶりに聴き返したが、アルバムとしての完成度よりも当時の空気を詰め込んだって気持ちが先に立つ。むしろバイオリンをフィーチャーした(1)での数分が、奇妙なほど。
 わずか2分の小品であり、勝井のエレクトリック・バイオリンと川下のクラリネットからテナーに持ち替えるインプロをなぜ、ここで入れたか。不破もエレべで、このあとの太いウッドベースと方向性が違う。あえて多彩な引き出しを強調したか。この点は作りこみすぎたかも。
 もっと素直にライブの様子を詰め込んでも良かった。

 (2)以降は怒涛だ。ソロ回しな構造を根本に持ちながらも、とにかく川下が吹きまくってリズム隊が柔軟にしぶとく盛り上げる。(7)では二本吹きかな。フレーズが複雑で一本のサックスを操ってるかのよう。

 (8)の「おまけ」はエレクトリック・バイオリンでの"Over the rainbow"を軸にフリーに盛り上がる。やたら観客のざわめきも聴こえる。きっちり一曲で聴かせてくれてもいいのに、わずか1分余りの小品でフェイド・アウト。
 アンコール後の余技か。そのわりに演奏は締まってる。ちゃんと聴かせて欲しかった。これまた、フェダインの荒々しさを表現の一方で、幅の広さをちらつかせるプロデュースの演出だったのかもしれない。
 
 本盤は廃盤で入手困難がしばらく続いたが、09年に再発されて今は容易に手に取れる。
 フリージャズに興味があるならば、ぜひ本盤を聴いて欲しい。ある意味、非常に馴染みやすい熱気が詰まったアルバムだ。


Track listing:
1 スネークハンド
2 Funny Life
3 King
4 ピーマン ナス イタメ
5 あふりか
6 Let's Talk About A Little Home
7 フワ ルンバ
8 おまけ

関連記事

コメント

非公開コメント