George Harrison 「Electronic Sound」(1969)

 自由な環境と感受性、双方が生み出したノイズ音楽の極初期な作品。創作過程を想像すると、途端に刺激が増す。

 ジョージ・ハリスンの2ndソロで、アップルのサブレーベルなザップル第二弾として69年にリリースされた。
 ただしリリース順では第一弾のジョン・レノン"Unfinished Music No.2: Life with the Lions"と同時発売らしい。

 録音は68年11月から69年2月。時系列ならば"Let it be"に繋がる"Get Back"セッションと同時進行になる。ポールと衝突しジョージがスタジオを飛び出したというトゥイッケナム映画撮影所でのセッションは、同年1月の話。
 ロバート・モーグから直接購入したというMoog IIIcを元に、奔放な電子音楽を拡散したのが本盤だ。

 既成観念にとらわれず創造力を膨らませられる自由。思うままに録音できる環境。そして実験作をリリースまでできる体制。ビートルズの成功と好きなように創作できる実績あってこその作品だ。

 音楽的には全2曲。LP片面づつの長尺を一曲づつ収めた。ビート性や構築や物語性は希薄で、淡々と電子音が流れる。現代音楽での論理的解釈や、後年のパンキッシュさやスカム的な冒険性もない。
 いや、ジョージは「新しいものを作ってやる」って気概があったのかもしれない。しかし聴こえる音は無秩序に淡々と、隙間の多いスペイシーな電子音が広がるだけ。

 ただし、複数音が聴こえる。ポリフォニック環境があったのか、多重録音か。複数台ズラリ並べて音を出したのか。どれだろう。
 当時はシンセの黎明期で、予算を潤沢にかけたとしても数台を並べたとは考えづらい。ポリフォニックな音でもなさそう。全く違う音が並行で流れるから。
 すると、多重録音か?それにしては、無秩序に過ぎる・・・。

 綿密に構築して録音したわけではあるまい。まさにおもちゃを与えられた子供のように、あちこち弄りながら出てくる音を、無造作に並べたかの音像だ。
 その一方で、ほんとうのノイズではない。ポップさは希薄ながら、やたら無茶苦茶に音を埋め尽くさない。すっきりと見通し良く、シンプルな音がリバーブをかけて広がる。

 うーん、つまみをいじりながら即興的に作ったっぽい。録音テープを流しっぱなしで、あとからあるていど、ブロック編集的に面白そうなところをつまんだか。細かくテープ編集をして構成はしてない。
 いわゆるインド哲学的な思想性も感じない。価値観破壊の現代アート的なコンセプトも伝わらず。

 本盤の音楽はLP片面で、長尺ながら音を流しっぱなしではない。たしかにある程度の長さで延々と電子音は続くが、ところどころでガラッと風景が変わる。当時のシンセで、ここまで激しい音変化ができたのかな。できなかったんじゃないかな。
 いくつかのセッションを切り貼りしている。録音は当時のジョージの自宅Kinfaunsで行われたらしい。ただしエンジニアにはアビー・ロードのスタッフ、Peter Mewがクレジットされた。決してジョージの宅録ではない。

 ジョージは、何を考えながら本盤を作ったのだろう。
 スタジオに籠って、シンセと戯れながら面白そうな音を出し続ける。あるいはドラッグや酒で酩酊しながら、無邪気に文字通り遊んでただけかもしれない。新たなアイディアを求めて真剣に取り組んだ実験作かもしれない。
 ただ一つ言えるのは、ジョージの音楽を周辺のスタッフが第三者目線で再構築してリリースではなかろう。そこまで当時のビートルズ体制に放埓さはなかろう。少なくとも本盤における創作物の最終決定権はジョージにあったはずだ。
 
 そもそもラインでPA卓へ直接の録音だろうか。いったんアンプから外に出して、それをマイクで拾ったのか。この辺の創作過程が、よくわからない。
 リバーブが効いた場面も、スピーカーでいったん出してからエフェクタ加工だろうか。
 この辺の録音風景を描くだけで、一冊の本になりそうだ。何人くらいのスタッフが、本盤の録音に係わったのだろう。
 前述のとおり、ビートルズの活動でジョージは葛藤とストレスを抱えていたはず。そのセラピー的な録音だったのか。それとも全く別次元で創作意欲を広げたのか。

 シンセでスペイシーな音を出すだけではない。ハーシュ・ノイズ的なざらついた音像も本盤には含まれている。
 だが、ノイズとしての破壊衝動は感じられない。もっとおっとりと、鷹揚で・・・いわば、言葉を飾らずに言えば、中途半端だ。

 突き抜ける創作力も、ポップなりノイズになりに仕立て上げる覚悟が本盤では希薄だ。
 ある程度の客観視は本盤に感じるが、唯一無二の独創性まで追い詰める集中力が、ちょっと欠けている。

 いや、時代性も配慮すべきだ。こんなアルバムを作る財力も環境も当時のミュージシャンにはあるまい。まして前例がない以上、本盤でも十二分に尖鋭性と独自力はあったに違いない。

 それをさっぴいても、本盤の無邪気さが興味深い。
 数分にまとめず、長尺にだらりとまとめたのはダダイスムもしくはインド哲学での縛られない時間構造の影響があったはず。

 しかしリボン・コントローラーで音程をいじり、スペイシーかつノイジーに溢れさせても過激な炸裂には至らない。この創造力の足踏み感と、内省的な小宇宙さが興味深い。

 翌年にキース・エマーソンが同じ機材を入手して、クラシックのアンチテーゼとして過激なパフォーマンスにMoog IIIcを駆使したのと対照的だ。
 明確な仮想敵もしくは現体制があり、鍵盤のテクニックを備えてキースはシンセを楽器として、武器として操った。

 一方でジョージはおもちゃとして、道具としてシンセを用いている。また、マーケット的にもポップなビートルズのファンにとって、本盤は戸惑いだろう。
 ノイズ好きが本盤へ目を向けることが少ないのか、ノイズの文脈で本盤が語られつづけたイメージも無い。ジョージの作品であるがゆえに、聴かれずに埋もれてはいないが。

 音構造はとりとめないが、決して堕落した音遊びではない。何らかの意思を持って本盤にまとめた意思は感じられる。
 スカムな電子音楽好きなら、本盤は楽しめる。のびのびと好奇心を広げ、なおかついやしくもビートルズの一員たるジョージが、ポップ界の歴史を変えストレスに疲れた男の心象風景がここにある。
 
 もう一度書いておく。本盤はどんな環境で、どんな風景で、どんな気持ちで作られた作品だろう。本盤と対峙しながら、空想するほどに本盤への興味深さが高まる。

 アップルの原盤には、こう記されているそうだ。

"There are a lot of people around, making a lot of noise, here's some more."
 周りにはたくさんの人がいた。たくさんのノイズを作った。これはそれ以上のものだ。
 そんなふうに訳していいのかな。決して孤独な創作では、なかったようだ。



Track listing:
1 Under The Mersey Wall 18:42
2 No Time Or Space 25:06

Personnel:
On 1:Recorded By [With The Assistance Of] - Rupert And Jostick The Siamese Twins
On 2:Musical Assistance - Bernie Krause
Engineer : Peter Mew
Producer, Composed By George Harrison

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