菊地雅章+富樫雅彦 「Poesy」(1971)

 ピアノとパーカッションの対話を基調にした、美しく鋭い盤。

 副題は"The Man Who Keeps Washing His Hands"。手を洗い続ける男。隠喩か具体的な何かを指すのかは分からない。いかようにも含みを持たせられる。ぱっと連想したのは潔癖症の男。違うかな。

 ゲイリー・ピーコックが日本に住んでた時代に吹きこんだうちの一枚。彼は4,5,7の3曲に参加した。あとは菊地と富樫のデュオが広がる。
 富樫が車いす生活となり、復活直後の録音だ。ドラマーから富樫は音楽性を拡張した。

 冒頭からピアノとユニゾンで鉄琴が鳴り、曲が進むにつれ木琴も鳴った。ドラムとピアノの丁々発止を期待すると、少し戸惑う。本盤はもっと、メロディアスなアプローチだ。 菊地の抒情性溢れるピアノがしっとり溢れた。

 (3)に進み、突っつくように小刻みで歯切れ良いビートが広がる。ピアノはひとつながり。冒頭2曲から世界観をぶれさせず、淡々とロマンティックな音を広げた。きれいな和音だけではない。時に響きは濁る。フレーズは拍子感を漂わせず、奔放だ。
 けれどもタイトで降り注ぐリズムと、聴いてか聴かずか奔放なピアノの相対は繊細だ。スリリングだがきれいな音像がスリルより寛ぎを聴き手に与える。およそユーモアや余裕を剥ぎ取った音楽ながら。

 ドラムの緊張は細切れで区切りづらいパーカッシブな刻みに、揺らされる。張りつめたピアノは淑やかなムードでごまかされる。互いに妥協せず、むやみに反応せず。それぞれの音楽を作りながら安易に寄り添わない。
 心地よい距離感が音楽から零れてくる。ベースが加わった編成だと、アンサンブルに厚みは出る。フリーが三人となり不思議な調和を作った。

 野太いベース・ラインに日本風の重みを感じるのはなぜだろう。ピーコックはけっして日本文化にかぶれてはいない。だが少なくとも本盤の音楽は、米ジャズの根幹たるスイング感やグルーヴ、欧州ジャズの理知性や個人主義とも異なる、独特の間を尊ぶ日本風のジャズに聴こえる。
 激しい斬り合いや自己主張の応酬ではない。それぞれが自分の音楽を愛で、互いを尊重して全体を作った。

 フリーな音楽が詰まって聴こえるが、完全なインプロではない。(1)のみ富樫、あとは菊地のオリジナル。とはいえテーマがあってアドリブ回しで再度テーマに、って構成はかけらもないのだが。
 曲のスケール感もまちまち。静かにたたずみあうムードが基本ながら、(6)のようにグッと落差と広がりある場面も現れる。

 本盤は三日間にわたり録音された。しかしぱっと聴いてると、大きな一つのセッションをそのまま切り取ったかのよう。とりとめなく抽象的な音像が繋がっているように聴こえる。
 脈絡が無いのに、アルバム一枚を通したストーリー性を感じる。実に見事な編集だ。

 原盤がLPなだけあり、音楽はサクサク進む。トータルで45分弱。いい感じのボリュームだ。集中力を切らさず、音世界に没入できる。

Track listing:
1 The Milky Way 4:18
2 Dreams 4:55
3 The Trap 4:05
4 Apple 10:57
5 Get Magic Again 8:57
6 Foaming Around Sounds 4:45
7 Aspiration 6:28
8 End 0:32

Personnel:
Bass - Gary Peacock (on 4,5,7)
Drums, Percussion, Glockenspiel, Marimba, Gong - 富樫雅彦
Piano - 菊地雅章

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