Keith Rowe/中村としまる/Thomas Lehn/Marcus Schmickler 「ErstLive 002」(2004)

 小さく淡々と電子ノイズが広がる。ときおり、鈍い音が加わった。緊張感と静けさがいい塩梅で混ざってる。

 ケルンでKeith RoweとJon Abbeyが主体となった04年のイベント、"Amplify04 Additon"でのライブ音源。3日間にわたるフェスで、翌週にベルリンでも第二部が行われた。一連イベントの出演者やスケジュール情報は、ここに残っている。出演者が順列組み合わせで毎夜異なる企画だった。
 日本からは本盤参加の中村としまるの他に、大友良英やSachiko Mの名前があり。
http://www.erstwhilerecords.com/live/amplify04.html#

 この音源は5/8の演奏。3組のセッションが行われたうちの一つで、Keith Rowe/中村としまる/Thomas Lehn/Marcus Schmicklerのパートが、たぶんノーカットで収録されている。
 約39分の一本勝負。

 だれがどの音を出してるか不明だが、サイン波みたいな高音が中村だろうか。小音かつ断片的な、いわゆる"音響系"ノイズが広がる。アルバムではキース・ロウの名が冒頭に上がっているけれど、主催者だからって程度の意味だろう。

 たぶんすべて即興、楽曲ではない。主導権は誰が持つでもなく、たんたんとストイックかつ機械的なノイズが広がる。緩やかに盛り上がる音像で、じわじわと相手の音に反応しながら各自が、サウンドのスペースを広げていく感じ。
 遠慮ではなく、突出しすぎないよう牽制しあうかのように。

 ざらついたノイズやテープ・コラージュっぽい電子音すら、情報量が多すぎる。冒頭の細く小さい高周波数の音だけでもいい。澄み渡った空気が、じりじりと滲み汚れていくかのよう。
 もっともノイズで汚くすることが主眼ではない。だんだん増えていく音要素で、結果的に透明度が薄れていく。

 楽器を利用はロウのみ。中盤あたりから、瞬間的に弦をはじく音やワウ風の断続音が加わった。とはいえメロディもリズムもない。音程が一瞬現れて消える。
 シンセを操るThomas LehnとMarcus Schmicklerも、むやみに暴れない。余韻や優美さでなく、もっと理知的にノイズの噴出量と全貌の静けさをバランスとってるような比率だ。
 電子音が静寂において、あまり増え過ぎぬよう音量やドローンを操る。リズム・ボックスが現れても、轟かない。小さく鳴らしたあと、消してしまう。
 音色への愛着を持ちながら、周波数帯域を楽器として操る。その価値観が全員で揃っていない。
 ある意味で達観して無機質な中村のアプローチと、他の三人が異なっている。他の三人はもっと、非音楽へのこだわりとアンビエントな緊張感を狙うかのよう。

 この音楽に意味性を求めてはいけない。たぶんタイミングと美意識のぶつかり合いで成立している。
 けれどもこの手の音楽を聴き重ねるほど、妙に物語性を投影してしまう。音を出すこと、そのものに価値観を見出す本盤のような音楽だからこそ、妙に感情移入してしまう。

 本盤は無音そのものに価値を出すヴァンデルヴァイザー派とはアプローチが違う。全員が、ではないが、常に何らかの音波は漂っている。
 わかりやすくジワジワと音量を増やし、メリハリをだして起伏を付けるステージングもあるだろう。終盤の30分過ぎにそれっぽい低音の唸りはあるけれど、4人とも単純な快感原則は避けた。ぐっと抑えて密やかな空気は作り続けてる。
 このざらついたガリ音も中村かもしれない。低く鈍いドローンがシンセかな。

 ある瞬間でどの音を誰が出すか。どの程度出すか。どの波長で響かせるか。それにどう反応するか、もしくはしないか。奏者の意識/無意識を想像しながら音楽へ耳を傾ける楽しみ方もある。
 本質的にBGMで聴くのもいい。明確な物語性がなく、美意識を主体にかつノイズで成立する音楽だから、邪魔しない。それでいて音域や音程は強く耳へアピールする。それが小音だとしても。 

 高周波が耳につくため、音量を絞ったほうが柔らかい響き。けれどもグイッとボリュームを上げると、電子音が予想以上にうねってるのに気づくはずだ。轟音にしてステージの空気感も含めた、さまざまな振動がぶつかり混ざり溢れるさまを味わうのも楽しい。

Personnel:
Keith Rowe: guitar, electronics
中村としまる: no-input mixing board
Thomas Lehn: analogue synthesizer
Marcus Schmickler: synthesizer, computer

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