灰野敬二・佐藤通弘 「たゆたゆと ただよいたまえ このふるえ」(2004)

 日本人として和風な音楽が持つ強度を、逆に実感したインプロの盤。

 全7曲。冒頭は1分半だが、あとは5~10分のほどよいボリュームの即興が並んだ。
 佐藤通弘は灰野の5歳下で、ほぼ同世代。13歳から三味線を始め、最初は津軽三味線の伝統路線だったが、海外公演を重ねるうちにアヴァンギャルド方面に活動が広がる。
 "厳流島"(1985)をジョン・ゾーンと録音し、ソロの"Rodan"(1988)はゾーンがプロデュースでNYダウンタウン・シーンの面々と録音した。今も伝統芸能とインプロの双方にまたがる活動をしている。

 さぞかし灰野とも即興よりのスリルを聴かせるかと思いきや・・・思いのほか、三味線の力は凄かった。
 (1)では佐藤もインプロ寄り。佐藤は特殊奏法や無秩序な爪弾きを提示した。灰野と無秩序でノービートの掛け合いを行うけれど。それがどうにも、燃えきれない。

 そこで(2)以降はアプローチが一転する。佐藤はむしろ、伝統的な三味線のフレーズやパターンを愚直に提示した。そこへ灰野が絡む格好。灰野がシャウトを効かせる場面もあるけれど、むしろアコギで真摯に向かっていく。

 本盤での灰野はナイロン弦のクラシック・ギターのみ。ボディを叩くなど特殊奏法を織り交ぜながら、フリーでスピーディな響きを撒き散らす。
 佐藤はむしろ灰野の動きに釣られず、まっとうな三味線の響きを冷静に展開した。

 この相いれなさが本盤の魅力だ。日本人ゆえに僕は、三味線の響きにエキゾティックさはない。むしろ古めかしい老熟した印象が強い。年寄りが弾いてるイメージ強いから。もちろん若手奏者もいるし、「ましろのおと」も何巻か読んだ。よって三味線は過去の遺物、なんて言わないが。今回に調べてみたら、他にも三味線がらみのマンガってあるんだね。そのうち、読んでみよう。
    

 だが本盤ではとっぴさに流れず、着実な三味線芸能を響かせる佐藤の演奏が頼もしい。灰野がどんなに暴れても、意に介さず崩れない伝統の強固さを本盤では感じた。
 (4)で喉を潰して灰野が吼えても、インプロのダイナミズムより浄瑠璃の変形を聴いてるかのよう。つまり灰野の自由さをもってしても、日本文化に沁みこませる。

 これは灰野が、というよりぼくの固定観念。それだけ無意識で日本の音楽観や美学へ馴染んでるためと思う。
 三味線演奏で日本人なら誰もがイメージするであろう、フレーズが倍テンポで加速する畳みかけるフレーズ。これがノービートのかき鳴らしな灰野と多層的なビート感を出す。

 本盤は三味線のグルーヴを基調だが、いわゆるきれいな4拍子ではない。けれども三味線側のフレーズを軸としたら、特に日本人なら違和感を覚えないはずだ。
 もっとも佐藤も伝統芸に頼ってるわけではない。
 本盤で一番長い11分弱の(5)では、三味線もフリーフォーム。弦を軋ませる特殊奏法も次々繰り出し、灰野とラフかつ自由に絡んだ。

 灰野と佐藤、わかりやすく音楽が絡み合わない。佐藤が一つの柱を提示し、灰野が積極的に絡んでるようにも聴こえた。
 逆に釣られず、灰野は自由にフレーズを展開する。透徹にして奔放。けれども滅茶苦茶ではない。がっつり太い歴史の厚みが漂う。いまのところ、このデュオでCDは本盤のみ。継続した活動に至らなかった。異物通しのぶつかりで終わったか。

 前衛は歴史の継続性があってこそ、存在する。蓄積した伝統の主軸があって、サブカルチャーは成立する。それが知識でなく感覚で楽しめる。日本人による日本人ならわかりやすい、絶妙な前衛音楽。
 ここでは西洋音楽や異文化との混淆を狙っていない。むしろ過去と現在のぶつかり合いだ。

Track listing:
1 その壱
2 その貳
3 その参
4 その四
5 その五
6 その六
7 その七



Personnel:
灰野敬二(ac-g)
佐藤通弘(津軽三味線)

関連記事

コメント

非公開コメント