HAIR STYLISTICS 「The Lost Hat」(2016)

 コンパクトでシンプル、ハーシュではないノイズ。隙間が多く、コミカルな要素も漂う。

 中原昌也がHair Stylistics名義でリリースし続けるCD-R,100枚限定の自主製作シリーズ。当初は全100枚と言ってたはずだが、止まるところを知らず本作が165作目となる。

 音源は約30分一本勝負。白CD-Rが折られた紙の中にストンと一枚、無造作に入ってた。盤面には何も書かれてない。

 冒頭からリズム・ボックスが軽快に鳴り、シンセが脱力気味にうねった。しばしミニマルにノイズが続いたところで、ぴょこんとシンセが跳ねる。
 ビートは変わらない。淡々と続く。
 シンセが踊り、震えた。途中で歪んだ音色に変わっていく。淡々と刻まれるビート。その上でゆらゆらとわずかな旋律感のみで、シンセは震えた。

 演奏は変わり続ける。ビートはミニマルに同じパターンを続けるけれど、上物のシンセは変わっていく。轟音でなく、ゆるいムードのシンセが震えた。さらに細かいスクラッチめいた音が時に挿入される。

 終盤はシンセが派手に暴れた。音程をぐいぐいひねり、単音の長押しで痛快に疾走する。だが音色はどこか優しい。耳をつんざく轟音で聴いても、リズム・ボックスのミックスが大きくてシンセの激しさに浸れない。
 あくまでもビートが妙に目立ち、ノイズの無秩序さへ溺れられない仕組みになっている。安易にノイジーさへ逃げない、頑固さがあり。

 音色と密度を変えれば剛腕ハーシュへ様変わりするけれど。ここではどこまでも、軽い味わいが続いてる。

 スカムな要素のノイズはあまり得意でないため、暴力温泉芸者も含めて彼の音盤はあまりきちんと聴いていない。いっぽうでメルツバウ以上とも思えるほどのリリース・ラッシュ、なおかつ流通も限られるためすぐさま入手困難になるのが、このシリーズ。
 中古でも見かけない。たぶんマニアの間でのみ完結流通してるのだろう。

 変な話、メルツバウくらいの知名度を世界で築いた場合、金さえ出せば入手できる確率が上がる。Youtubeに上がる可能性もある。一方でヘアスタはそういう方向性はあまり志向してないようだ。
 知名度も活動も、その気になればぐいぐい上がるはず。だがどうも中原には諦念が漂う。めんどくさいのかな。

 ノイズを既存の価値観や秩序のアンチテーゼとする、サブカルチャーとしてアートめいたアプローチはある。その対極がスカムな思いつくままのノイズ、と仮に置こう。
 ヘアスタはそのスカム寄りに居る一方で、アプローチは真摯なノイズを追求する。さらに音盤化へこだわるのも、今では貴重な価値観だ。商品として流通を意識してるのかもしれない。

 バンドキャンプなどで次々と音盤をリリース・ラッシュする手はある。だがほとんどそれらはDLされず、インターネットの海にうずもれるままだろう。
 けれども音盤化されれば、それは流通する。そしていつか、市場へ再度現れることもあるだろう。

 ヘアスタは膨大なリリースを行うわりに、コンセプトの提示やアーカイブには興味ないようだ。本作が165作というが、これらの一覧もネットに見当たらない。そもそも集めてる人が何人くらいいるんだろう。
 曲目解説のブログも見当たらない。フラットな価値観で、彼の作品に優劣をつける文章を読んでみたい。ぼく?・・・いや、とてもとても。だいたい、今からでは過去の作品が手に入らない。

 彼の作品は、なんというか肉感的だ。
 ヘアスタの作品は、ほとんど聴いたことが無い直感的な感想だが、直感の即興性を大事にして演奏してる気がしてならない。例えばそれはインキャパの暴れ具合とも違う。ヘアスタのノイズはもっともっと、享楽と耽美的だ。しかもスカムな味わい。

 没落貴族がチープな機材で音と戯れてるかのよう。ヒリヒリする逼迫さも、破壊衝動のパワフルさも無い。ただ、音と向かい合う。
 究極に創作へ真摯であり、あらゆる価値観へ無関心。その飄々たるスタンスながら、リリースへはこだわる熱意が、貴重な行為となっている。

 前述のとおり、音色を変えたら猛烈なパワー・ノイズになるだろう。だがヘアスタは本盤で安易な豪快路線へ向かわない。ハーシュな音色を使っても、要素に留めてる。この潔さが、凄い。

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