ブライアン・ウィルソンは踏絵である。

ブライアンの作ってきた音楽は大好きだが、魅力を全くぼくは理解できてないな、と改めて思った。

御年72歳のブライアンが4月に新譜を出す。楽隠居って言葉を知らないのだろうか。
しかしビジネスの問題か、本人の意欲ゆえか、ブライアンは活動を続ける。
時は残酷に過ぎてマーケットは次を求め続ける。その点、大滝詠一はいさぎよかった。

ブライアンのソロは"That Lucky Old Sun"(2008)にて打ち止めでも良かった。あとは懐メロを気分しだいで演奏、で良かった。
ビーチ・ボーイズは"That's Why God Made The Radio"で、素晴らしい幕引きをしてくれたし。

いまだに斬新さをファンは求める。もういいじゃないか。ロックは若者によるガキ向けの音楽だったはずなのに。
ブライアンはポップス・ファンに無条件で奉られながら、常に新譜は貶される。
彼の新譜ってのは、そんな不条理極まりない立ち位置だと思っている。

彼の音楽は踏絵だ。否定したら「偉大な先進性を聴く耳が無い」とされ、無条件に褒めたら「ブランドで耳が眩んでない?」と。

ブライアンのソロに限りなく近いのは"Pet Sounds"(1966)だった。本作を24歳にして作り上げた才能は絶賛する。今では"Pet Sounds"が神格性すら帯びているのに、アメリカでは当時、期待ほど売れなかった。続く"Smile"プロジェクトも頓挫し、ブライアンは引きこもりになる。

"Adult/Child"(1977)の没プロジェクトや、ビーチ・ボーイズでの緩やかな関与こそあれ、ブライアンは表舞台に現れぬはずだった。だが公式1stソロ"Brian Wilson"(1988)で、世界は再び動いた。

「第二の"Pet Sounds"」みたいなアオリ広告が、心底嫌いだった。なにを聴いてるんだ、とイライラしてた。そもそも"Pet Sounds"すら、80年代前半は完全に無視されていた。
シンセがブリバリな"Brian Wilson"のサウンドも「ケッ」と当時は思ったし、ゲスト満載の売らんかな、な構成もイヤだった。

だが発売は心の底から嬉しかった。ブライアンは、いてくれるだけで良い。声が出なくたっていい。46歳になって再び表舞台に出ただけで良い。そう思ってた。

ここからブライアンへのアンビバレンツな接し方が、ぼくの中で始まる。アルバムが出たら、とりあえず聴く。当然ながら、ピンとこない。でも屑じゃない。
ダリアンらスタッフに恵まれ、恍惚かと疑うインタビュー読んで、ブライアンは傀儡じゃないかと疑った。それでもアルバムは聴いて見たかった。

ライブは絶対に見たくない。でも活発なツアーは嬉しい。そんな感じ。

"Smile"の04年盤リリースは、心底たまげた。素晴らしさに惹かれた。ダリアンのインタビュー読んで、ブライアンの意志が入ったと分かる。けれどもあれは、"Smile"マニアが作ったアルバムじゃなかろうか。ブライアンの意志で、再生策が始まったのか?

今のブライアンを全面的に賞賛したくない。だが"PetSounds"にしがみつき、否定もしたくない。あるがまま、でいい。引きこもりの地獄から、ブライアンは復活したんだ。
あのファルセットはもはや、どこにもない。だが88年以降、だんだん声が出てきたと思う。70歳越えの今、新たな歌声も何もないが。

とりあえず今回、順番にブライアンのソロを聴きかえしていた。

ユージン・ランディが居なかったことにされてる"Brian Wilson"(1988)は、やっぱシンセの音が今の耳だと邪魔くさい。ドタバタするドラムも。
大勢のゲストもウザい。だけどなんか、じわじわ来る素朴さに、改めて気が付いた。
この盤ではまだ、ブライアンの頭の中にある音を、周辺から探って作っていったような感じ。20代を思い返しつつ、届かない。時は既に流れてしまってる。

シングルB面の"He Couldn't Get His Poor Old Body to Move"がやっぱり、本盤を象徴してる。強烈な自虐のブラック・ジョーク込みで。何度聴いても、胸にジワッとくる。

ブライアンのソロ活動は、"Sweet Insanity"(1990)の発売中止が大きな躓きだった。
ブートが山のように出て、Youtubeでも今や簡単に聴ける。久しぶりに聴きかえしたが、"Brian Wilson"での奇妙なゴージャス化狙いが消えて、綺麗に内省さが滲む良盤だ。

コラボは飛ばして"Imagination"(1998)へ。これも当時、カチカチに硬い音と薄ペラさが馴染めなかった。あっさりした曲調と無様なセルフカバーも含めて。
だけど今回聴いたら、爽やかさがスッと耳へ届いた。当時はブライアンへのぼくの思い入れが頑なで、素直に音楽へ対峙出来てなかったみたい。
リゾートで過ごすハッピーな雰囲気を想定した、ブライアン流の売れ線狙いな盤だったのかも。

ライブ盤は興味無いので飛ばして、"Gettin' In Over My Head"(2004)。これも"Sweet Insanity"曲の再演やポール/エルトン/クラプトンにカールのゲスト呼びが、あざとくて馴染めなかった。サウンドもいまいち地味だな、と。
今回聴いたら、アレンジの丁寧さに気が付いた。打ち込みを咀嚼して生音と溶かしてる。変にマーケットを意識せず、歳相応に穏やかなアルバムに仕上がった。
声はだいぶガラガラが消えた。ツアーでこなれたか。フレーズの頭や終わりでエッジ立てつつ、声をフワッと置きに行く独特の歌い方が戻ってきた。

"Smile"やクリスマス・アルバムを飛ばして、"That Lucky Old Sun"(2008)へ行こう。当時、地味に感じて、最初はピンとこなかった。
だけど本盤は、すごく繊細なコンセプト・アルバム。数あるソロの中でも最大傑作だ。ブライアンの喉が、20代だったらな。懐古的なムードなため、当時に作る機会あったとは思わないが、やはりブライアンの多重録音のみで聴きたい。

なおこの盤、録音に味が出てきたと今回思った。88年の盤から続けて聴いてると、デジタルの抜け良さを保ちつつ、どっか音像が柔らかく溶ける。楽器のボリューム差を極端につけて、奥行出してるかのよう。

そして"Reimagines Gershwin"(2010)や"In the Key of Disney"(2011)に至っては、買いはしたけど聴きこんだと言いがたい。オリジナリティなんて要らない、とりあえず活動を確認したいって程度の思い入れだった。
これはまあ、今も印象は変わらない。どんなに声が復活しても、トップの音域はフォスケでしょ。ブライアンの作曲に至上の価値を置くのは変だが、今のブライアンの歌をそこまで過大評価しなくていい、と思う。ブライアンの歌は20代の頃を聴きたい。

こんな感じで今回聴きかえしたら、旧譜のソロで幾つも良いところに気が付いた。今までどこを何を聴いていたのやら。今度出る新譜を、ぼくはどういう風に聴くだろう。

過去2作、ブライアンはカバーに留まり、作曲面での独自性アピールを控えてた。
ところが"No Pier Pressure"(2015)はオリジナル集っぽい。ゲストにジェフ・ベックやビーチ・ボーイズ仲間も呼び、商売っ気が出た風にも見える。
今のブライアンは、何がしたいんだろう。どんな音が詰まってるんだろう。

ふと検索したら、新譜音源をリークするYoutubeが昨日に上がってた。DLで落とせるらしいが、リンク先には怖くて飛んでいない。聴くのが怖い、じゃなくてウィルスとかネット・セキュリティ的に。まあ、あと3ヶ月たてば聴けるし。

GoGo Penguin

予想以上に面白かったイギリスのピアノ・トリオ。アコースティックなジャズのはずだが、2nd アルバム"v2.0"(2014)はフォークトロニカやプログレの香りも感じた。

パシャパシャと乾いてるが小気味よいドラムに、無骨だが流麗なベース。ピアノはきれいに鋭く鍵盤を叩く。
このライブ音源だと、普通のアグレッシブなピアノ・トリオと感じる。黒人的なファンキーさは無く、どこか涼やかで軽快なノリだ。

だが"v2.0"収録曲"Hopopono"のプロモビデオを見ると、奇妙さが伝わってくる。 

そもそもピアノ・トリオのジャズでPVあるってのが異様だが。サウンド的にはピアノの左手とリズム隊が産むグルーヴが、基本的に延々と続く。ピアノの右手はかろうじてソロを取るが、リフと区別がつかない。てか、ビデオ見て思ったが、高い単音のリフってダビングだよね?

生演奏のダイナミズムを放棄しつつジャズの味わいを残し、それでもアドリブが主体じゃない。サンプリング文化を基調のさまがユニークで刺激あり。

"v2.0"収録曲では"One percent"が顕著だ。つんのめるビートをユニゾンで突っ走るスリルも味わえる。いわばDJのスクラッチ。これを生演奏で再現するアプローチが面白かった。
さらに単音を叩きつける場面も。まるでCD-Jで瞬間をサンプリングし、ループさせる音っぽい。凄いセンスだな。単数拍子をテンポ上げながら叩きつける、爽快さがたまらない。

この曲、ライブテイクがYoutubeにあった。生演奏だとジャズ色が強いんだよな。
3:40あたりからエンディングの変拍子も、ばっちり合わせてる。

ちなみに本人たち、あまりジャズに拘ってないのかも。"Shock and Awe"ではアンビエント・ノイズっぽいバラードを聴かせる。フリーというより音響系の路線って感じた。

ライブだと印象変わると思うが、アルバムだと異形な香りを漂わせる。そのあたりがジャズに加えプログレやフォークトロニカっぽいな、と思う。

最後にこの曲を。1stアルバム"Fanfares"(2012)に収録。線画アニメが素朴で優雅な魅力あり。


ちなみにジャズとエレクトロの融合って前から色んなミュージシャンが言われてたらしい。
ジャズトロニカって言葉あるのかな、と検索したらこんなページを見つけた。

Doo Wop radio

たまたま見つけた。過去回も聴ける。知らない曲ばっかだ。ドゥワップ中心のインターネット・ラジオかな。喋り無しに次々曲がかかる。

威勢よくDJが喋り、グイグイ曲を流すラジオ番組も聴きたい。どっか、良い局か番組がないものか。

Tangerine Tree & Leaves

エドガー・フローゼが先日、70歳で逝去した。http://amass.jp/51363/
タンジェリン・ドリームは何枚か聴いたが、それほどのめり込まず。
「YMOの先駆的テクノの音楽」ってカテゴリーで意識するも、なんか掴みづらくって。

だが今回『ステップシーケンサー(中略)を使った音楽の可能性を大きく切り開いたのがこの方でした。』って表現を読んで膝を打った。なるほど、そう聴くのか!

今までミニマルって言葉しか頭に浮かばなかった。スペイシーな電子音が続くライブ音源も、安易に淡々と聴いてきただけ。
改めてシーケンサーをキーワードに、タンジェリン・ドリームを聴きかえしてみよう。
どこまでが手弾きで、どれがシーケンスかな、と。

ちなみに彼らは膨大なアルバムを残している。解説で昔から読んでたのはこのページ。
Wikiだとこんな感じ。

そしてタンジェリンと言えば「Tree/Leaves」プロジェクトも欠かせない。
2002~06年に無償配布を前提でファンの間へ流れた、さまざまなブート音源を総称するプロジェクトを指す。基本はライブ音源、一部にスタジオ音源もあり。

Tangerine Treeはアルバム単位でVol.92まで続いた。さらにサイド・プロジェクトでTangerine Leavesもあり、Vol.91まで至る。2枚組相当なもあり、しめて300時間に及ぶとか。
「Tree/Leaves」まとめサイトはこちら。http://www.voices-in-the-net.de/voicesr7.htm

ふっと気づいてYoutubeを検索すると・・・あるじゃん。さすがに全タイトルを検索してないが、もしかしたら全部アップされてるかも。
ランダムにTreeとLeavesから1枚づつ貼ってみよう。ついでにスタジオ盤の"Phaedra"も。

Phaedra(1974) [Full Album]

(Tangerine Tree Vol.30)"Reims, 1974"

(Tangerine Leaves Vol.47) "Bradford 1974"

アメリカン・スタンダードへの誘い

「イージー・トゥ・リメンバー:アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代」ウィリアム・ジンサー:著(国書刊行会:2014)を読んでいる。
いわゆるスタンダードの作曲家にスポットを当てたエッセイ集。

ジャズを聴いてる割にぼくは、スタンダードを知らない。「古臭い」って10代の頃には聴かなかったし。
この年になり、なんかいいなあと思い始めた。ああ、歳をとった。
本書では原題をカタカナ書き、邦訳を併記する。ずらずらとカタカナが並ぶと読みづらい。そして邦題の上手さに感じ入る。

さほど突っ込んだ解説じゃなく、ぱらっと読める本のはずだが。基礎知識が無いため、やたら読み進むのに手こずる。タイトル見てメロディ浮かぶくらいの知識量有れば、スラスラ行けるだろう。

読みあぐねて、先に片岡義男の解説を読んでたら、ビ-ジー・アデェアって女性ピアニストを紹介してた。
『ほのかにジャズ風味のピアノで、誰をも何をも邪魔しない、という方針で名曲を演奏している。(中略)彼女のCDすべてを買いそろえると、一人の女性ピアノ奏者が支えるアメリカのポピュラー・ソングの名曲、という世界が確実にそこにある』
って表現が気に入った。なんか、かっこいい。

彼女のことは知らず、さっそくWikiで調べてみた。
・・・なんか87枚もアルバム出してる。とても気軽に買い揃える量じゃないのう。


「YMO関連の必聴曲 15選」

ぼくは4年くらいYMO後追い世代。音楽に興味持ち、初めて買ったFMステーションの特集記事がYMO散会だった気がする。とはいえどっぷりと彼らの音楽に影響は受けた。最初が坂本、次に細野。あまり高橋の音楽は聴いてきていない。

「YMO関連の必聴曲 15選」を英FACT Magazineが発表の記事を見てみた。

サンクラで発表の"The Essential Yellow Magic Orchestra"ミックス音源のトラックリストを見たが・・・うわー、何曲も知らないのある。イギリス人に日本の音楽知識で負けると、すごい悔しい。

きっちりと細野の曲を多く取り入れてるのも、にくい。戦メリだけ、この選曲だと少々違和感あり。
俺なら「千のナイフ」を入れるが・・・って一瞬思ったけど、これも負け惜しみだよね。

そもそもポリシックス名義でYMOがシングルだしてたの、今初めて知った・・・。


[トラックリスト](一部、日本語に直してみた)

Polyphonics 'Cosmic Surfin'' (1978)
細野晴臣 'Femme Fatale' (1978)
細野晴臣/横尾忠則 'Hepatitis' (1978)
Yellow Magic Orchestra 'Computer Game/Theme From The Circus/Firecracker' (1978)
Yellow Magic Orchestra 'Behind The Mask' (1979)
Susan 'Modern Flowers In A Boot' (1980)
坂本龍一 'Riot In Lagos' (1980)
矢野顕子 'Tong Poo' (1980)
Yellow Magic Orchestra '1000 Knives' (1981)
高橋幸宏 'Extra-Ordinary' (1981)
Yellow Magic Orchestra 'Seoul Music' (1981)
細野晴臣 'Birthday Party' (1982)
坂本龍一 'Merry Chistmas Mr. Lawrence' (1983)
Yellow Magic Orchestra 'Perspective' (1983)
コシミハル 'Parallélisme' (1984)
小池玉緒 'Kagami No Naka No Jugatsu' (1983)
細野晴臣 'Air-Condition' (1982)

中村とうよう オーディブック:ディスコグラフィ

前に日記で書いたっけ?検索で引っかからず、改めて書いてみる。

オーディブック(1989-1997年)は中村とうようが89年に有限会社を起こしたレコード・レーベルで、著作権切れ(当時)の音源を解説付きでリイシューするコンセプトだった。
しかし著作隣接権が97年に改訂され、過去50年の音源を第三者の無断発表が叶わなくなったことを理由に、本レーベルは閉じられた。

最初は本の形式にCDが付いており、当時の奥付に「独自に開発した新形式のもので、文字と音の両方合いまった理想の音楽メディアを目指しています」と書かれていた。
書籍型CDパッケージじたいが(有)オーディブックと(株)ジャパン・スリーブで共同開発、実用新案登録出願中とも記載あり。最終的にどうなったかは知らない。
CD番号で「AB+二桁」がそのかたち。CD本の装丁が途中で変わり、20番台にいきなり飛んだと記憶している。

だがビジネス的にこの形式が困難、か何かを理由に途中からデジパック形式に変わった。CD番号で「AB+三桁」がそのかたち。AB133「とうようズ・チョイス」がレーベル最後のリリースだ。

中村とうようがLP時代に"スープ・レーベル"を起こしてた頃は知らない。だがこのオーディブックはリアルタイム、非常に興味深かった。
レココレ誌に寄稿する音楽評論家の協力を時に仰ぎつつも、基本は中村とうようの趣味性が炸裂したラインナップで、何枚もこのレーベルは買った。

レーベルの根底に流れるのは、中村とうようがこだわり続けた「大衆音楽」と「ワールド・ミュージック」。ほんと、いろんな音楽をこのレーベルの盤で知った。

しかし、いかんせんこのレーベルの盤は、高かった。"AB二桁"盤が4,000円、"AB三桁"盤が2800円。25年前だと、当時の自分には気軽にほいほい買える額じゃなかった。
必然的に、自分の趣味性から外れるものは買い控える。「ギリシャ音楽入門」を買い漏らしたのは、いまだに痛恨のミスだ。たまにオクで見かける。改めて大金注ぎこむほどでは、ないけれど。

このレーベルの全貌がふと知りたくなり、ネットでディスコグラフィ探すが・・・見当たらない。しかたない、ためしに作ってみた。

kの時代の古いレココレ誌を大部分捨ててしまい、はっきりしたことがわからない。当時のレココレ誌あれば、簡単に整えられるのに。
とりあえず、中間報告。そのうち、時間見てチコチコとメンテナンスします。

[Discography]

<AB二桁盤> 
AB01   ブラック・ゴスペル入門
AB02  リアル・カリプソ入門
AB03    スペイン音楽入門
AB04  ブラック・ハーモニー入門
AB05    キューバ音楽入門
AB06   クロンチョン入門
AB07    プエルト・リコ音楽入門
AB08  ハワイ音楽入門
AB09  日本の庶民芸能入門

AB20    ハイチ音楽入門     (表1に"第10弾"とあり。AB10は欠番、次がこれと推測)
AB21  ギリシャ音楽入門
AB22    南アフリカ音楽入門

(たしか番号が飛んで、「大衆音楽の真実」シリーズが採番された)
AB51    大衆音楽の真実 Ⅰ
AB52    大衆音楽の真実 Ⅱ
AB53  大衆音楽の真実 Ⅱ 

AB71     アメリカン・ミュージックの原点

<AB三桁盤>
AB101  ゴールデン・イヤーズ・オヴ・カリプソ 1
AB102   ゴールデン・イヤーズ・オヴ・カリプソ 2
AB103   ジャマイカ・ビフォー・スカ
AB104   ゴールデン・イヤーズ・オヴ・カリプソ 3
AB105   魅惑のクロンチョン 1
AB106   魅惑のクロンチョン 2
AB107   マンボの祝祭
AB108  ルンバの神話 第一集
AB109   非西欧世界のポピュラー音楽
AB110  マンボの散歩
AB111   カリブ音楽の旅
AB112  ルンバの神話 第二集
AB113  ルンバの神話 第三集
AB114   わが心のボレーロ
AB115   ベスト・オヴ・カルメン・ミランダ
AB116   ベスト・オヴ・ソル・ホオピイ
AB117   ベスト・オヴ・ミゲリート・バルデース
AB118  ボサ・ノーヴァ物語●青春篇
AB119  グルーヴィ・ギターズ
AB120   ベスト・オヴ・ジョニー・オーティス
AB121  ギターワークス・バイ・ミッキー・ベイカー
AB122   ボサ・ノーヴァ物語●源流編
AB123   ボサ・ノーヴァ物語●放浪編
AB124   ベスト・オヴ・チローロ
AB125  オール・アバウト・クリスマス
AB126  世界こぶしめぐり
AB127  テレサテン/アーリー・デイズ VOL.1
AB128  テレサテン/アーリー・デイズ VOL.2
AB129   エクゾティック・ジャパン
AB130  こぶし地帯を行く
AB131  アコーディオン古今東西
AB132  ロック・アラウンド・ザ・ワールド
AB133  とうようズ・チョイス (本盤が、レーベル最後のリリース)

ジャズ:廉価盤の潮流。

クラシックやジャズの廉価盤ボックスの嵐が数年前から起こっている。クラシックは数十枚組の巨大ボックスが数年前に流行した。一方のジャズはここ数年、Real Gone Jazzを筆頭の「4枚組でLP8枚収録」ってのが、廉価盤の主流だった。

だが輸入盤における、今のジャズ廉価盤はもうちょいボリューム・アップしてるようだ。たまたまAmazon渉猟してたら、いくつか面白そうなのがあった。

まずはEnlightenment。どこのどんなレーベルか、全貌が分からない。Amazonだと分かりづらく、こっちのほうが概観しやすい。

ごらんのようにモダンジャズのボックスがずらり。5枚組と枚数増やして、収録LPを多くした。Amazonで再検索すると、だいたいLP1枚当たり200~300円くらいか。
解説ないし音質も期待できないし、オリジナル・ジャケットもあるまい。あくまで安かろう悪かろうで許せる人向け。

でも上のURLで紹介の盤でも、いくつか惹かれる。
例えばモーズ・アリソンのLP12枚分や、ドナルド・バードのLP10枚分。アルバム1枚づつ、あんまり買おうと思わないものな。
ロリンズLP9枚分とか、ドルフィー12枚分とかも。何枚かは持ってても、意外と他の盤って聴いたことない。
リー・モーガンはしばらく前に何枚か買ったんだよな。くう、このボックスを見つけてさえいれば。

もうひとつのレーベルはThe Intense Media。コルトレーンの10枚組、LP15枚分ってのを見つけた。一枚当たり100円強。うーむ。多少ダブってても、良いかなって値段設定だ。
他にどんな盤を出してるか、良くわからない。

海外は安かろう悪かろうの流ればっか。日本は逆に1枚千円で、ごそっとリイシューってのが流れか。タワレコのこの頁が見やすく、再発の情報収集に重宝してる。

しかしまあ何十年たっても魅力的なのが一杯とはね。今の若い人は、いったい何年分を遡って聴いてるんだろ。

リドル・ストーリー

先日に逝去した平井和正の作品を、誰かが解説した文章を読んで、この言葉を知った。Wikiでの定義は「リドル・ストーリー (riddle story) とは、物語の形式の1つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリー」とある。

平井自身がこの形式をどこまで意識していたか別として、ほとんどの小説がこの終わり方だったと思う。中学生の頃、平井和正の作品に触れた。いわゆる第一次世代の小説は堅苦しく感じ、筒井康隆と平井和正の小説が何となくピンときた。
特に「小説を熱狂して読む」体験のきっかけが、平井和正の作品だった。筒井は物語への熱狂じゃなく、なんか変なものをじわじわ体にしみこませる感じだったから。

最初に読んだのが「超革中」(1971)だったと思う。次が「死霊狩り」(1973-78)か「ウルフガイ」(1971-75)。次に「アダルト・ウルフガイ」(1969-79)。それから「幻魔」(1979-83)かな。
特に中学生のメンタリティで、「死霊狩り」の残酷さは強烈なインパクトだった。夢中で読んだ記憶がある。

宗教団体の内紛にストーリーが変化した角川文庫の「幻魔」も嫌いじゃなかった。
もっと一冊を厚くしろよ、とは思ったな。とはいえ中学生だとストーリーを理解できず、後年に再読してようやくついて行けたけど。
まあ中学の頃だと「真幻魔」(1980-85)の方がピンときた。ちょうど終盤がリアルタイムの刊行だったし。

ぼくの平井和正は、だいたいこの辺まで。ぽおんと飛んで「きまぐれオレンジ」に影響を受けた「ボヘミアンガラス・ストリート」(1995)は、奇妙に面白く読めたけど。

リアルタイムで躓いたのが、高橋留美子に傾倒したあたり。「地球樹の女神」(1988-92)は、再びの改竄問題で角川の野生時代とドンパチやってるころから、いまひとつ引いてしまった。最近、読み返したが文章の熱気が、70~80年代前半と何か違ったな。

「ウルフガイ」も一緒。「黄金の少女」(1985-94)は読んだけど、どうも乗れなかった。「犬神明」(1994年-1995年)は読んでないかも。「月光魔術團」(1996-98)はダメ。途中で放り出した。

電子書籍の先駆となり、何が最新刊かサッパリわからなくなったのも、平井和正と距離を置く一つとなった。やはり先日、「幻魔」の再読を思い立ったけれど、何が何だか刊行内容が分からない。

こうして思い返すと思春期ドンズバの読書に、平井和正は強烈な存在感を示していた。
久しぶりに「アダルト・ウルフガイ」を読み返したくなったな。

ちなみに平井和正と言うと、この曲を思い出す。

あと、やっぱこれね。1983年の曲だから、ぼくが中二の時か。
キース・エマーソンがなぜ日本のアニメに?!とビジネスの流れが理解できなかった。

懐かしい。後年聴きなおしたらキースの鍵盤が少々溌剌さに欠け、「営業だったのかな」とがっくりした記憶あり。

ちなみに以下のURLに寄れば、この盤でキースが関与したA面はドラムが青山純でギターが芳野藤丸。鍵盤だけテープを送って、あとは日本で作ったの?

音楽との距離感

「学校で教えてくれない音楽」大友良英:著(2014:岩波書店)を読む。
非常に示唆に富んだ面白い本だった。

 正直、最初はケッと思った。ただしこれは大友のせいではない。
 帯の「字が大きい岩波新書」でまずムカつく。読みやすいとか、岩波が志向するんじゃないよ、と。他の出版社はいざ知らず、岩波は読みやすさ無視してアカデミック路線を走ってほしい、って思い込みがあるもので。字の大きい岩波文庫とか、もう20年くらい前から路線が変わっており、ぼくが小学生の頃の黒っぽい文庫や新書の岩波ははるか昔の話だ。

 次にワークショップをそのまま本にした構成にムカつく。安易な編集してんじゃねえよ、と。だがこの素直な文字オコシが音楽家らしい本であり、すごく刺激的な内容になっていた。
 この文字オコシこそが、本書の特徴であり面白い点になっている。擬音や場の流れをそのまま文字にしたことで、奇妙な臨場感を味わえる。音程や音色まではさすがに記載も再現もできない。
 しかし読みながら頭の中で音を鳴らすことで、かなりの疑似体験を味わえる。
 その意味で、本書は非常に面白く刺激的だった。

 ちなみに以降の内容も示唆に富んでいる。音楽に対する自分の姿勢や価値観を考えさせる、さまざまな論点を内包していた。
 
 本書の構成は第一章と第二章が2014年に岩波書店の社員食堂で行われたワークショップ。この書籍化を想定した企画か。第三章が鼎談。観客がいる、のかな?良くわからない。第四章が大友の音楽生活を振り返った、簡単なまとめ。

 ここでは「音遊びの会」と最終章の振り返りに関して、考えたことを残しておく。

 大友の活動の一つに「音遊びの会」がある。ライブを見たことは無いし、今後もたぶん行かないと思う。いろいろな理由があるのだが音楽的な観点のみでいうと、ぼくは音楽は憧憬の対象と捉えているからだ。
 今まで言語化したことは無かったが、本書を読みながら考えているうちに気が付いた。

 大友は本書で「音楽的弱者」との表現を使う。引用すると"楽器のスキルが無くても、歌がうまく無くても、音楽は出来ます"が、この定義になろうか。
 確かに大友の言うとおり、だと思う。しかしぼくはたぶん、これまでこの視点が無かった。山のように「音楽的強者」のつくった音楽がある中で、わざわざもう一段階高いスリルを音楽に求める余裕が無かった、と言ってもいい。

 大友の考え方に共感はできる。しかし根本的に違うなあ、とも思った。
 音楽的弱者と強者の立ち位置に大友がこだわったのは、そもそも大友が「西洋音楽の文脈で言う、楽器巧者」の立ち位置と少々ずれたところから活動を続けたのが根底にあると思う。
 たぶん大友が譜面に起こしやすい楽器を、いわゆるハイテクニックで演奏するスタイルならばおそらく本書の視点には至るまい。
 なおぼくは大友がステージで扱う楽器のテクニックは、本当に素晴らしいと思っている。念のため。

 「音遊びの会」では確かに大友の言うスリルに満ちた音楽が産まれているのだろう。だがぼくはまだ、ここまで突き抜けられない。
 観客という、絶対安全圏でしか音楽を聴けていない。
 
 ライブは大まか、二種類に分かれると思っている。再現か、刺激だ。つまり楽譜通りやヒット曲の再現を確認し、共感を得る。ここでは一部のクラシックやポピュラーのステージをイメージし、書いている。
 刺激の場合は、非再現や一過性の構成が多い。予測もつかずスリルと好奇心をくすぐられる。手っ取り早いイメージはインプロの場合。

 このとき観客はどこまで参加や一体感を得ても、安全圏にいる。
 だが「音遊びの会」は構成を超えた偶発性がありそうで、その場にいたらと思うと怖くて聴けない。
 しかし大友が本書で繰り返し滲ませるメッセージは、音楽はそんな安全圏に限定されない。もっと活き活きしたものだ、と言うこと。

 "文脈は一つじゃないし、歴史の見かたもひとつじゃない(中略)どんな「場」が生まれるのか、そんなことをもっともっと考えたほうが、世の中が面白くなるんじゃないかな。"と、大友は最後に言う。
 これはほんとうに、大きな勇気を必要とする。また時間置いて、読み返してみるかな。
 
 最後に余談。拍子木のだんだん早くなるテンポ感は外国の人は苦手、って記述があった(p18)。そうなんだ、知らなかった。こういうのもソウル・ビートなのかな。面白い。
 本書でも言及ある三本締めも、ごく普通に他の人と合う。
 ふと思い返すと三本締めのテンポ感って、これまであまり意識したことない。メトロノームでいくつくらいか知らないが、自分の中に何パターンくらい植わってるんだろう。

 それと本書に言及ある、ジョン・ゾーンのコブラ。上の論旨と全く別の観点で、日本とアメリカのコブラは大きな違いがあると思っている。ジョン・ゾーンがプロンプターするかしないか、でも。
 前から思っていることを、本書を読みながらふっと思い出した。