音楽本、2冊並行読み中

    http://img.mixi.net/img/basic/skin/gray/common/bg_edit001.gif);background-repeat:repeat-y;">
  • HMVのサイトが意外と情報収集に役立つかも。ソウル系の再発系レーベルをまとめたリンク集を見て思う。 
    http://www.hmv.co.jp/news/article/812110199/ 

    今まで音楽を雑に聴いてきたなあ、と反省する本を2冊並行して読んでいる。 

    "アフロ・ポップ・ディスク・ガイド"吉本 秀純 (監修)(2014:シンコーミュージック) 
    "ボブ・ディランは何を歌ってきたのか"萩原健太:著(2014: Pヴァイン) 

    前者はアフリカと西洋音楽のミクスチャーをテーマにしたムックで、アフリカ音楽そのものに加え、アフリカ音楽に影響や共演の盤もふんだんに取り上げた。有名どころだとヘッズの"Remain in light"とかサイモンの"Graceland"とか。 
    アフリカ音楽は好きな割に、体系だって聴いてない。時系列も地域もバラバラ。読んでて話題に上がる盤は中途半端に知ってるか、まったく無知なものばかり。 

    これをまともに追いかけて、その上で自分なりの好みを追求するべきなんだよなあ、と思う。10代の頃に読みたかった本だ。 
    しかし最近、新譜を聴いてねぇなあと愕然。特にこのところは買うCDも激減し、中古盤をジャケ買いがほとんど。妙に混沌とした聴取な日々を過ごしている。 
    「聴きたいCDを狙って買う」という、まともなルートを通るべきか。 

    本盤のコラムに"Awesome Tapes from Africa"の管理人を挙げてて驚いた。(http://www.awesometapes.com/) 
    アフリカ音楽の(多分無許可で)アップロードするサイトでも老舗、なかでも現地カセットテープに着目し、資料性や解説は無視して膨大な音源を上げ続ける。ネットをググればたいがいの情報へ断片的にアクセスできるカタログ文化とは違う。マニアックな体系性は無く、大雑把なとこが"異文化"の無秩序さに似合ってる。 
    しかし商業本でこういうサイトの存在を記載していいのかね。ストリーミング再生可能だから、ぎりぎりセーフってことか。 

    もう一冊はしばらく前にもちょっと言及した、萩原健太による公式リリースをたっぷりレビューした大著。 
    何度も書いたように、萩原健太はぼくが大きな影響を受けた音楽評論家の一人。膨大な知識をカタログに羅列する冷静さ、情報を元に深く読んで熱く語る分析力を併せ持つ。その一方でアイドルや産業音楽までもフラットに評価する、底なし沼なイメージの咀嚼力が魅力だ。ギタリスト/プロデューサーでもあり、楽典の観点で分析できるのも強みの一つ。 
    さらにコピーライター的なキーワードを切り取る象徴化のセンスと、呟きっぽい口調の文体も特徴ある。 
    表層を撫でながら、実は深みも覗いてるという。ほんとはもっと本を出してほしい一人。 
    率直な所、長文なほどに味を出す人だと思う。短文だとミュージシャンや曲名がカタカナで羅列し、目が字の上を滑っていく。 

    なお萩原ははるか前、PCオーディオへ早期シフトの一人だった。PC雑誌にコラムを持ち、MP3化のリッピング・テクニックを熱く語っていた。コラムの書籍化を願ったが果たせず。今やハードの変化で時代遅れだろうが、普遍的な「PCオーディオの概念」や「タグ付やHDD棚の情報管理」をテーマに一冊を著して欲しいもの。たぶん、数十テラくらいの音楽ファイルを管理してるはず。どんなふうにファイル管理やバックアップしてるか、興味ある。 

    で、本書。ディランの諸作を一枚づつ、丁寧に解説していく。そう、本書の第一義は解説。初期のカバー曲の現演奏者や、オリジナルの原曲と思しき作品を淡々と書き連ねる。それぞれのタームに深く踏み込まず、情報のチョイスからディランの狙いや立ち位置を考察する。 

    ディランはマニアが多い。分析もさまざまに出来る。まだ読んでる最中だが、本書で萩原は歌詞や楽曲構造へさらりと触れつつ、曲選びのセンスを時代性を横目に語っている。 
    知らない情報ばかりだから、刺激的だ。ディランも聴いてない盤がいっぱいある。聴かなくちゃなー。 

    しかし一人のミュージシャンを追うってのは、ある意味覚悟がいる。本著でも言及のようにディランはブートが膨大。さらに裏では海賊盤という「商業」ルートにすら乗らぬ音源もいっぱい。音質が悪いとか、断片的だとか。 

    あっというまに潰されたが、"Bob's Boots A-Z"ってブログが2010年位にあった。(http://headedforanotherjoint.blogspot.jp/) 
    たまたまオープン当時にブログを見て、あまりの音源の膨大さに仰天したっけ。今上記のURLには跡地だけ。ディレクトリ構造のみでも残しておいたら、資料性の意味で貴重なのにな。 

    そうそう、萩原の本を読んでて参考資料の一冊に"Bob Dylan: The Recording Sessions 1960-1994)"Clinton Heylin:著(St. Martin's Griffin;1997)があった。 
    http://alturl.com/5c4wt 
    こんな本出てるの知らなかった。邦訳されないかな。2000円位で原書は買えるが、どうせ読まないし・・・。

Merzbow配信開始

Ototoyでメルツバウが過去作の配信を開始のニュースと、インタビューが掲載有り。
もともとi-tunesなどでマニアックな作も配信を、かなり以前から行っていたため衝撃は無いが・・・今回のリイシューはOtotoy流の"ALAC、FLAC、WAV、mp3"配信が可能なところか。

ノイズなゆえに幅広い周波数を使っているからこそ、良質な音質でこそ楽しめるというユニークな構造を実感できる、かもしれない。ためしに買っておらず、音質の委細は不明。

ノイズ作品はパッケージに凝った盤や限定盤も多いゆえに配信が馴染まぬ側面もある。数が出ない分、所有欲で確実にファンを囲い込む戦略をとる場合もあるため。でもまあ、メルツバウのファンならあまりその辺は気にしないか。

今回は数百作あるアルバムから、7枚が選ばれた。インタビューによると
『『Turmeric』以外は、わりと世間に知られているメルツバウのタイトルという理由で選びました。(中略)『Turmeric』は最近邦訳が出たポール・ヘガティの「ノイズ / ミュージック」という本で紹介されていたからです。』

その割に今回7作の以下は ReleaseとImportant Records 発表作へ異様に固まった感あり。概観するとアナログ時代の1作とデジタル移行の2枚、ビート強調の"メルツ動物"シリーズ3作に"Turmeric"、な感じ。"Dharma"は比較的埋もれた名作だから、今回でクローズアップは嬉しい。入門的な聴きやすさなら"Merzbeat"かな。

【今回再発の7作】
"Venereology"(米 Release Entertainment 1994)
"Pulse Demon"(米 Release Entertainment ‎1996)
"Dharma"(米 Double H Noise Industries 2001)
"Merzbeat"(米 Important Records 2002)
"Merzbird"(米 Important Records 2004)
"Merzbuddha"(米 Important Records 2005)
"Turmeric" (米 Blossoming Noise 2006)

メルツバウ自身の適切な解説が上記URLで読めるが、せっかくなのでぼくの一行感想も。
"Venereology"(米 Release Entertainment 1994)
 サブカルチャーどっぷりな時代のメルツバウ。凶暴に吼える金属音と咆哮する電気ノイズの疾風を味わえる。

"Pulse Demon"(米 Release Entertainment ‎1996)
 全8曲。コンパクトな作品が並びとっつきやすい。長尺マニアには24分の大作もあり。ハーシュな嵐の一方で多彩なシンセの音色を使用が特徴。いわばスペイシーでメカニカル。

"Dharma"(米 Double H Noise Industries 2001)
 5分前後の3曲に32分の長尺。ピアノがノイズに埋もれる(3)を筆頭に、ラップトップによる音質変換が強烈に味わえる。波形やフィルターを演奏するベクトルが、新鮮で鮮烈に感じた一枚。

"Merzbeat"(米 Important Records 2002)
 ノービート乱打で繊細なうねりにビート性を感じるのがメルツバウの美学と、思い込んでたために驚いた一枚。ループを多用し明確なパターン性を導入した。本作以後、メルツバウはビートもノイズに溶け込ませていく。ハードコア・テクノとも位置付けられる。

"Merzbird"(米 Important Records 2004)
 のちに続々リリースされる"メルツ動物"の一環。やはりビートが強調されて、"Merzbeat"の路線を深化させた。本作の頃は動物好きをアピール、どんどんヴィーガン化にシフトする。
 ハーシュをより細分拡大させたノイズ・オーケストラ的な奥行と多層性を、コンピュータによるくっきりしたミックスで明確に示した。

"Merzbuddha"(米 Important Records 2005)
 酩酊を誘うループ感が特徴。ノイズは耳をつんざくより混沌表現が強い。パターンがじわじわと変貌し、気づくと全く違う世界へ運ばれる。音像の滑らかで緩やかな変身が楽しい。波形いじりの醍醐味だ。

"Turmeric" (米 Blossoming Noise 2006)
 CD4枚組で発表の本盤は、デジタルに飽いたメルツバウがアナログ要素をかぶせた。電子鶏の嘶きがコントロールされた凶暴さだ。デジタルの制御に習熟して容赦ないノイズへ、無秩序なアナログがむしろ穏やかに轟く。

ナイトフライ解説本

冨田恵一の著書「ナイトフライ:録音芸術の作法と鑑賞法」(DU Books:2014)を読む。
素晴らしく刺激的で面白かった。

本書の目線は作り手サイド。作曲家でありアレンジャーでありプロデューサー目線だ。けっしてぼくは持ちえない視点なだけに、さまざまな指摘事項や評価のアプローチが興味深い。
冨田ラボは、本盤が隅々までパンチインを施した盤と推測する。シロートが聴いたくらいでパンチインの有無って分からない。分かっちゃまずいか。

しかし"ナイトフライ"がウェンデルを駆使した、80年代的打ち込みビートの先駆とは思わなかった。タイトな生演奏かとばかり。冨田は本書で「本盤に生ドラムはほぼ無い」と分析する。
本書を読んだ後で本盤を聴きかえすと、きっと前の印象には戻れない。異様にメカニカルに聴こえる。そのリスクを押してでも、本書を読む価値は有る。強烈にお薦め。

追加知識で楽曲の印象がガラリ変わったのは、ビートルズの"ストロベリ~"やビーチ・ボーイズの"And Your Dream Comes True"。
前者はレコーディング日記読んでから聴き直し、テイク繋ぎの見事さに唸った。
後者は達郎の「テープつぎはぎ」とラジオで言ってから、ヘッドホンで聴いてぶっ飛んだ。なぜ気づかなかったのか、と。
マイルスの"On the corner"もそうか。菊地成孔の「一拍半切って始まる」ってと解説読んで唸ったっけ。

音楽の解釈や解説のアプローチはいかようにもある。だが自分には決して無く、想像もつかない視点で分析を知るのは、好奇心がくすぐられて楽しいったらない。
この「ナイトフライ:録音芸術の作法と鑑賞法」も、久しぶりにのめり込んで読んだ音楽本だった。

真夏のディラン。

暑い・・・ちょっと用事で出かけてる間じゅう、ディランを聴いていた。
萩原健太がディランのレビュー本「ボブ・ディランは何を歌ってきたのか (ele-king books)」出したのがきっかけ。

ぼくはディランへさほど熱心なリスナーじゃない。聴いたことない盤もいっぱいある。でも今日はディランのドライブ感が、妙に新鮮でグッときた。

聴いてた盤は、こんな順番。特に脈絡無し。
"Oh Mercy" (1989)
"Blood On The Tracks" (1975)
"Street Legal" (1978)
"Good As I Been To You" (1992)

"Oh Mercy" (1989)はやっぱりしっくりこない。何となく単調で、なにが狙いかピンとこなかった。所々のコード進行から出るトロピカルな響きに耳を惹かれたが、いまいち。

やっぱディランは合わないのかな、と思って聴いたのが"Blood On The Tracks" (1975)。
これは夏の日差しに合う。カントリーにグッと寄り添ったディランの歌いっぷりにも張りがあり、楽しく聴けた。

"Street Legal" (1978)が一番、ぴったり。があがあ照りつける日差しの中を歩いてても、冷房聴いた電車の中で窓を眺めても、バッキングのドライブ感がすんなりと体に馴染んだ。
どっちかと言えば、暑い日にあぶられてるときのほうが、ディランの歌い声にぐいぐいくる。しぶといシャウトに元気出てきた。

帰りの道々で"Good As I Been To You" (1992)に変わる。こっちはギター数本重ねたフォークへのルーツ回帰かな。"Oh Mercy"でのしゃがれ声より、ずっと張りを感じる。
なんだろう。"Oh Mercy"のサウンド作りこみが、今の気分に合わんのか。

朝日のような夕日をつれて2014

見に行った。17年ぶり。もうそんなに時間がたったかと、愕然だ。以下、細かいことも書くけれど、いちおう、見たことない人には分かりづらく書いておく。

今回公演はもちろん第三舞台でなく、Kokami Network名義。大枠を残しつつノスタルジー色をきっぱり削った清々しい改訂版だった。

"朝日"を初めて知ったのは87年。公演目線だと4回目の再演のころ。とはいえずっとチケット入手のチャンスが無く、実際に"朝日"は97年の6回目、サザンシアターが初体験。でもビデオやDVDは何回も繰り返し見て、戯曲は何十回も読んだ。冒頭の立ち方はマネしたし、セリフの構造や流れも大まかは頭に入ってる。

そのせいで97年に実際の"朝日"の感想は、もちろんべらぼうに楽しんだ一方で、息苦しさを感じていた。戯曲の構造は見せ場に満ちており、エンタテイメントをなぞるだけで時間が過ぎてしまい、改訂の箇所は間違え探しの気分だったため。

だが今回、7回目の再演は見事に時代に寄り添っていた。ギャグは全て入れ替えられていた。ゲームはきっちりと、進化していた。
歳の流れも感じる。ダーツの距離は半分で、ミュージカル病はすっぱりカット。ニューアカや左/右翼のちゃかしも消え、自衛隊ネタは会社に変化してた。

DVDで見た汗まみれのスーツも、ぐっとトーンダウン。ダンスも簡略化された感じ。
大高と小須田の体力持つかと心配してたが、見事な改訂だ。"朝日"が魅せるハードさは、藤井隆の熱演で往年の汗まみれを伺わせた。

大きなセリフ構造も細かく改訂。"みよ子の遺書"って言葉が耳に入った時は「そこまで丁寧にやるか」と驚いた。小須田が最後にゲームの名前をトチりは・・・台本?もし台本なら、すさまじい構成力と小須田の演技力だ。

いちばんの変化点は、丁寧な画面補足の分かりやすさ。背後のスクリーンを観ながら、数十年前とは違う、テロップまみれなテレビ番組の分かりやすさを連想した。
"千のナイフ"までもテロップが入っててビックリ。もちろん演劇的な演出の観点では、ギャグが分かりやすく強調され、とても楽しかった。

以上、不満に思える書き方かもしれない。とんでもない。ムチャクチャ面白かった。しばしば入るキメの場所では、ゾクッときた。尻ふりに鳥肌が立つ。短く終わっちゃたけど。
とにかく隅から隅まで役者も演出も、すごくシャープだった。

冒頭から演出の新味が光る。ノイズ交じりの"End of Asia"とスクリーンの対比は素晴らしくスリリング。天井から落ちるボールが鳥に食われて一呼吸置くのも面白かったし、さらにボールも大量落下する。お約束を守りつつ、テンポを明らかに変えた。

大高と小須田をそのままに、他3人はネットワーク人脈。したがって舞台の濃密さは明らかに第三舞台と違う。特に我愛?のシーンはもどかしい。あの部分は筧のイメージが強く、もっと伊礼や藤井が前に出て凄んで欲しかった。唯一、不満はあそこかな。

とはいえ他3人の魅力は、他にあった。迫力は藤井隆が圧倒的。キャスティングはぶっちゃけ、藤井が少年と思い込んでいた。ゴドー1とはね。汗と唾を飛び散らせ、ぐいぐいと舞台を駈けた。

伊礼彼方は唄もすごい。おかげで学校の印象がガラリ変わった。"グッドナイト・ベイビー"カットも納得だ。
さらに藤井との座り語りで、伊礼の魅力にやられた。第三舞台でのきっちりと構築され、緊張と弛緩のバランス、ごく滑らかに伊礼は描く。伊礼は寛ぎ、優しく、温かく語りかけた。
玉置玲央の少年もスピード感あり。いちばん少年イメージが変わらず、それでいて最終シーンの心細げな医者の振り幅が、とても懐深く響いた。緊張から不安、さらにスリルにと演じる。

DVDで何度も見た刷り込みから、至高の"朝日"は91年の印象が強い。勝村政信と筧利夫、京晋佑の公演。
"朝日"の良さが映えるには、第三舞台でこそ上演可能な演劇と思ってた。当て書きを漂わせ、鴻上の価値観が滲む戯曲として。だが本改訂版で"朝日"はウェルメイドに仕立てたと思う。
サブカルチャーだった鴻上が、今や小劇場界の権威になった今にして。

第三舞台の戯曲や舞台を見るたび、何か言いたい思いが頭にぶわっと膨れ上がってきた。思春期や20代の何か喋りたい、もどかしい頭のスイッチを思い切り押されてきた。40歳を軽く超えた今でも、まだちょっと余韻が残ってる自分に気づく。枯れるわけにはいかないぜ。

鴻上の芝居は刺激スイッチと感じてきた故に、"今の"鴻上である虚構の劇団は、一度も見たことが無い。自分の枯れや錆びを知りたく無かったから。とはいえ"今の"朝日を見た今回、改めて今の価値観で虚構の劇団を観たくなった。

しかし公演始まった今でも"朝日"のチケットが、普通に少々残ってるんだ。ぴあとか見て、驚いた。さすがに平日公演だけだが。瞬殺だった当時から隔世の感だ。